セリエAから消えた日本人。カズに始まり、中田英寿が道を切り開いた (3ページ目)

  • 利根川晶子●文 text by Tonegawa Akiko photo by Giglio/Football Press

 しかしそんな先入観は開幕戦で見事に払拭されることとなる。中田はユベントス相手に2ゴールを挙げ、センセーショナルなイタリアデビューを果たしたのだ。

「試合自体はペルージャが3-4で敗れたが、そのインパクトは強烈だった。すぐに中田はペルージャサポーターのアイドルとなったよ。日本人でも実力によってヨーロッパでプレーできるのだと、彼は行動で証明してみせたんだ」

 中田はイタリア1年目で32試合と、ほぼフルで出場を果たし、ゴールも10決めた。こうなるとガウッチのところにオファーが舞い込むようになる。サッカー後進国と思われていた日本から来た青年は、一躍ビッグクラブの注目するところとなった。2000年1月、ローマは中田を約27億円で獲得し、ガウッチは大もうけした。

「それまで日本人がプレーしたのはジェノア、ペルージャなど、地方の中小チームだったが、ローマはイタリアの首都のチームだ。どこまで中田が通用するのか、我々記者も興味があった。しかも彼のポジションにはフランチェスコ・トッティがいた。でもトッティが不調の時などに出番が回ってくると、中田は決してそのチャンスを逃しはしなかったね」

 2000年には優勝を決定づけるユベントス戦で中田がゴールを決め、ローマはスクデットを手にした。日本人でセリエA優勝を経験したのはいまだに中田だけである。

 この優勝によって中田の評価額はさらに上昇した。2001年にはパルマが約54億円の2年半契約で彼を獲得し、中田も腰を落ち着けてプレーできるようになった。2001~2002シーズンにはコッパ・イタリアの決勝でゴールを決め、タイトル獲得に貢献している。ちなみに決勝の相手はまたもユベントス。中田はユベントスキラーだった。

 その後、中田はボローニャとフィレンツェでプレーし、イタリアにいいイメージを残している。

「日本人選手がその後次々とイタリアに上陸するようになったのは、この中田の存在が大きいね。彼はまさにパイオニアだった」
(つづく)

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