奇跡の優勝目前。レスター市民に聞いた「レスター快進撃の秘密」 (5ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 もしニューカッスル・ユナイテッドが残り数試合という段階でプレミアリーグの首位にいたら、ニューカッスルの市民の半分はクラブのカラーである黒と白を身に着けているだろう。しかしレスターで目にする特徴的な色は、クラブのチームカラーではない。黒、白、茶色という、人々の顔の色だ。先ごろレスターはマンチェスター大学の研究チームによって、過半数を占める人種グループがいないイングランドの3つの地方都市のひとつに認定された(残りの2都市は、レスターより小さいスラウとルートン)。

 第2次世界大戦後にレスターには、あちこちの場所から少しずつ移民がやって来た。ポーランド人、ウクライナ人、西インド諸島や北インドのパンジャブ地方の人々、そしてカーンの父のようなパキスタン人(船乗りだった父は家族によりよい暮らしをさせるため、1958年にイギリスに渡る船に飛び乗った)。

 60年代から70年代には、アフリカに住んでいたインド人がやって来た。「昔は20万平方メートルの農場を持っていて、使用人が何十人もいたのに......」と、ローデシアから来たイスラム教徒のスレマン・ナグディは言う。「イギリスにやって来たら、ちっぽけな2階建ての家に住むことになった」

 インド系移民のほとんどは、インドのグジャラート州にルーツを持ち、東アフリカに移り住んでいた人々だった。スリンデル・シャルマはまだ幼かった1965年にケニアのナイロビからやって来た。一家はトイレが庭にあるテラスハウスに引っ越した。2年後、シャルマ家は自分たちの家を買った。以来、シャルマはレスターのファンで、今は公務員となって人種間の関係を専門とする部署にいる。

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