クライフは言った。「5対2の練習にサッカーのすべてが詰まっている」 (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 何年か後、ふたりはバルセロナにあるクライフの邸宅で正面衝突した。オランダのシント・ニコラス祭(12月5日)を祝うパーティーでのことだったようだ。しかし互いのあら探しをしながらも、ふたりは相手が自分とよく似たフットボール観を持っていると考えていた。

 クライフの2度の引退(1978年と1984年)の後、オランダ代表は主要大会の出場をたびたび逃すようになった。代表はクライフが教えたスタイルを忘れていた。80年代前半にオランダ代表監督を務めたケース・ライフェルスでさえも、オランダは「ヨーロッパのブラジル」をめざすべきだと語ったことがある。

 しかしクライフが1985年にアヤックスの監督になり、代表ではミケルスが指揮をとった時代に、オランダは再びオランダらしいプレーをするようになった。これまでオランダが優勝を果たした唯一の主要大会である1988年の欧州選手権では、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールト、ロナルド・クーマン、ルート・フリットといった偉大な選手たちが、みんなクライフの言うとおりにプレーした。監督はミケルスだった。クライフは代表を批判しつづけたので彼らはいら立った(クライフはしゃべりだすと止まらなかった)が、この選手たちはクライフの精神を受け継いだ「息子」だった。

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