クライフは言った。「5対2の練習にサッカーのすべてが詰まっている」 (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 クライフはアヤックスのスタジアムから目と鼻の先で育った。子どものころは、たいていロッカールームのあたりで遊んでいた。

 1964年、17歳のクライフがアヤックスのトップチームにデビューしたとき(GVAVというクラブに1-3で敗れた)、まだオランダにはフットボールの伝統がなかった。ワールドカップに出場したのは1934年と1938年の大会だけで、いずれも早々に敗退していた。当時のオランダ・フットボールに特徴があったとすれば、プレーが遅いということだけだった。クライフはイングランドのフットボールにあこがれて育った。

 だがクライフのデビューから2カ月後、アヤックスの新監督となったリヌス・ミケルスがスタジアムに中古のシュコダ(当時のチェコスロバキアの国民車)で乗りつけた。ふたりのフットボールの思想家は、お互いを見出した。ジョン・レノンとポール・マッカートニーがそうだったように、ふたりは衝突することも多かったが、オランダと世界のフットボールに革命をもたらした。

 オランダ国外でクライフの代名詞のようになっているのが、1974年のワールドカップでスウェーデンのディフェンダーをかわした「クライフ・ターン」だというのは奇妙な話だ。というのも、クライフが理想としていたのはワンタッチのフットボールだったからだ。クライフに言わせれば、ボールに1度触るだけのフットボールをするために、ボールを扱う技術を完璧なものにしなくてはならない点が逆説的だという。

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