内田篤人「キライじゃない」。変人マガト、サガン鳥栖の監督に (2ページ目)
とはいえ、近年はぱっとした結果を出しているとは言いがたい。11年3月にシャルケの監督を成績不振で解任され、再びヴォルフスブルクへ。その3季目となる12~13シーズンには最下位に低迷し、まだ序盤の秋口に解任された。翌年にはシーズン半ばでイングランドのフラムの監督に就任。初めての国外挑戦だったが、低迷するチームを救うことはできず、フラムは2部に転落した。フラムを解任されてからは監督業から距離を置いていた。
軍隊式の厳しいトレーニングを課す、戦術よりもメンタル重視派、変人である......といった日本で報じられている人物像は、ドイツで伝わっているものと大きくは変わらない。結果を出しているうちはそのことがクローズアップされることは少ないが、いったん負けだすとそうはいかなくなる。
日本人選手に関わるエピソードも多い。
11年3月、シャルケの監督を解任されたマガトは、解任直後にヴォルフスブルクの監督に就任すると、もうその週にはベンチに座って指揮をとった。3試合目には早くも古巣シャルケと対戦している。この時、マガト自身がシャルケに連れてきたスタッフの一部が、ヴォルフスブルクについていかず、シャルケに残ったことが話題になった。
2 / 3