インテルで出場機会が激減。長友佑都はどこへ行くのか (2ページ目)

  • カルロ・ファッブリ●文text by Carlo Fabbri 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 2011年6月、インテルが長友を獲得した時、その金額は650万ユーロ(当時のレートで約7億5000万円)と決して安くはなかった。その1年半後には新たに契約を延長し、期間は2016年の6月までとなった。この合意はチームにとっても長友にとっても喜ばしいものだったが、しかしインテル自体の成績を見ると、めでたしめでたしとは言い難い状況だった。

 モウリーニョ・インテルがグランドスラムを成し遂げたのは、ほんの数年前(2010年)の話なのに、もう何十年も昔のことのように思える。チーム再生のプロジェクトは発進したかと思えばすぐにご破算となった。監督はティッシュペーパーのように、ほんの少し使っただけですぐに捨てられた。

 ベニテスはチームに溶け込めず、レオナルドは腰掛け程度。ガスペリーニは機能せず、ラニエリはすぐにギブアップ。ストラマチョーニは経験がなく、マッザーリは陰気すぎ......。こうしてインテルベンチにはまたロベルト・マンチーニ()が戻ってきた。

※現役時代はサンプドリアなどで活躍。引退後は指導者となり、マンチェスター・シティなどを指揮。インテル監督は2004~2008年についで2度目。

 監督が目まぐるしく変わっていくインテルの中で、長友は常にピッチに立ってきた。昨シーズンまでのすべての監督は、いつも彼を重用していた。彼のキャップ数は、インテルの最初のシーズン、2011年の2月から6月までが19試合。その翌年は43試合、翌々年は35試合、そして4シーズン目となる昨季は36試合となる。つまり堂々のレギュラーだ。

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