批判続出。一流アタッカーを輩出しなくなったブラジル (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by Getty Images

「フットボールにはまず秩序が必要だ」

 事実、今回のセレソンの強さは秩序にあった。それは相手を待ち構えているとき、如実に表れた。FW、MF、DFの選手は距離感が良いだけでなく、おのおのがサポートするときの領域の広さとチャレンジのときのインテンシティの強さが抜群だった。敵ボールに襲いかかるとき、まるで肉食動物の群れが狩りをしているように見えた。その秩序に加え、ネイマールという絶対的なアタッカーを融合させたセレソンは強かった。

 しかし、ブラジルは準決勝でドイツのポゼッションフットボールに1-7と叩きのめされている。コロンビア戦の負傷でネイマールを欠いたとき、何も打つ手がなかった。その不運は言い換えれば、秩序だけでは勝てない、ということか。

「ブラジルらしいスペクタクルなフットボールへの背徳」
「ペレ、ジーコの時代に回帰を!」
「伝統的なナンバー10の不在が敗因だ」

 準決勝敗退後、セレソンは批判を浴びている。

 それらはどれも一理はあるが、フットボールは指揮官が選手の特徴を見極めて、どのスタイルで戦うか、を決断するしかない。ポゼッションであれ、カウンターであれ、その質が問われるのだ。その点、スコラーリのセレソンは優れていたが、ネイマールというピースがいなくなったとき、秩序は瓦解した。

「選手を選んだ私にすべての責任がある」

 スコラーリは淡々と語ったが、まさしく彼が大会の戦犯なのだろう。

 秩序に優れた選手たちは、身体能力や戦闘力に特長があったが、想像力や技術力は限定的だった。攻勢に出ようとすればするほど、肝心の秩序を失っていったのである。ドイツ戦の大敗による心理的影響も大きかったが、3位決定戦のオランダ戦は先制点を許した後に攻める意識が過剰になって攻守の均衡を失い、感情に流された危険なファウルを連発し、得点より失点の可能性が濃厚に匂い続けた。

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