決勝ゴールが象徴したドイツサッカー界の勝利 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • Photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 隣国であり、最大のライバルであるオランダの影響も、ドイツは確実に受けていた。象徴的な例は09〜10シーズンに、ドイツの看板クラブチームであるバイエルンの監督に、ファン・ハールが就任したことだ。ドイツにはオランダ人指導者が、それまでにも数多く流れてきていたが、バイエルンの監督にオランダ人が就任することは、一つの事件と言えた。

 プライドを捨て、実を取った。一言でいえばそうなるが、バイエルンは昨季(13〜14シーズン)、グアルディオラを監督に迎えるという大胆な行動にも出ている。

 グアルディオラは、ヨハン・クライフの愛弟子だ。クライフといえば、74年W杯決勝を、西ドイツと争ったオランダのエース。試合に勝ったのは西ドイツだが、後のサッカー界に影響を与えたのはクライフ率いるオランダだ。それはバルセロナのサッカーにそのまま継承されていくのだが、グアルディオラをバイエルンの監督に招くということは、当時のオランダを肯定することになる。認めたくないものを認めることになる。

 バイエルンはそれをあっさり認めた。昨季のチャンピオンズリーグ準決勝で、バイエルンがレアル・マドリードに敗れると、保守派を中心に、かつてのドイツ式サッカーの復活を望む声が高まった。だがドイツ代表のレーヴ監督は、古いドイツスタイルに戻そうとはしなかった。スペイン以上にスペイン的な、オランダ以上にオランダ的な、攻撃的=効率的サッカーを披露した。

 シュールレは、古いドイツ式サッカーには存在しなかった選手だ。4-2-3-1の3の両サイドは、サイドプレイヤー各1人の時代には、存在しなかったポジションなのだ。今回のドイツは、このポジションを特に大切にしていた。

 サイドバックと「3の両サイド」の各2人が、どんな場合も確実にポジションを取っていた。計4人が四角形をいつでも描いていた。従って、サイドチェンジの回数で、アルゼンチンに大きく勝った。

 右に振って、左に振って、真ん中を突いて、それがダメなら、また右に振って……と、右、左、真ん中への攻撃をドイツは執拗に繰り返した。最後の最後まで変えようとしなかった。アルゼンチンのような放り込みに走ることもなかった。日本のパスサッカーと何が違うか。ドイツのパス回しこそが効率的であり、正統な攻撃サッカーの手段である。

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