2012.12.27

【スペイン】今季も驚異の記録ラッシュ。
メッシという名の「奇跡」は止まらない

  • 山本美智子●取材・文 text by Yamamoto Michiko
  • photo by Rafa Huerta

今シーズンここまでリーグ戦17試合で26得点と、驚異的なペースでゴールを量産しているメッシ 1992年、アルゼンチンの小さな街、ロサリオの冶金産業会社の社会人クラブチームでプレイしていた5歳の少年がいた。少年は、後にアルゼンチンの名門、リーベル・プレートに10歳で入団する才を見せたにもかかわらず、重い成長ホルモン障害を患(わずら)っていることが発覚。スピードはあるが背が低く、同年代の子ども達と比べても小さくて貧弱な体つきのその少年の将来に、超高額の治療代を払ってまで賭けることをリーベルは拒否した。

 ロサリオのクラブチームのコーチでもあった父親は、息子の才能をあきらめきれなかった。そして、藁(わら)にもすがる思いで、唯一「才能があるなら」障害を苦にせず、治療費も出してくれるというヨーロッパのクラブの入団テストを受けるために、少年と一緒に欧州へ飛んだ。そのとき少年は13歳。欧州へ行くのは、生まれて初めてのことだった。

 テストを受けるまでの1週間、ホテルに滞在して待たなければならなかったが、少年がドリブル突破する様子を見たクラブ側から、すぐに契約しようと声がかかった。

 今ではその少年の名前を知らない者はまれだ。少年の名はリオネル・アンドレス・メッシ。そして、その貧弱な少年の未来に賭けたサッカークラブがFCバルセロナだった。

 とはいえ、子ども達の才能を見抜く目をもったベテランのコーチ陣ですら、まさか、それから12年後に、その少年がマラド-ナを超え、ペレやジーコ、ミュラーの年間ゴール数記録も抜き、ついにサッカー史上の年間最多ゴール記録を塗り替える選手に育つとは、夢にも思っていなかったことだろう。

 バルセロナのマシア(ユース組織の選手寮)に通うようになってからも、メッシは毎日、治療のために自分の体にホルモン注射をする日々が続いた。「他人に頼まず、自分で注射を打つように」と指示したのは父だった。注射は痛みを伴う。だが、その痛みを乗り越えないところに選手としての成功はない、と教えたのだった。