【フランス】イブラヒモビッチのプレイに大きな影響を与えた、その生い立ち (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 しかしゲットー育ちの過去のおかげで、彼は特別な存在にもなった。大半のスウェーデン人は無名の働きバチだ。スウェーデンには「ヤンテの掟」と呼ばれる処世訓がある。「自分を人より優れていると思ってはならない」など、謙虚であることをよしとする10カ条からなるものだ。ズラタンはスウェーデンの掟を知らなかった。彼のフットボールのスタイル(あるいは彼がスタイルを持っているという事実)によって、ズラタンは特別な存在になった。

 スウェーデンの文化相を務めたレイフ・パゴロツキは、僕にこう語った。「ズラタンがあんなにうまいのは、彼が悪ガキだったからだ。自分をしっかり持ち、ルールに従わず、周りの声を聞かない」。スウェーデン人の言葉でいえば、ズラタンは彼がヒーローとあがめるモハメド・アリのように「カクシグ(頑固、誇り高い)」であり、多くのスウェーデン人のように「ルゴム(控えめ)」ではなかった。

 ズラタンはスウェーデン人を驚かせた。サンマリノとの試合で他の選手が蹴るはずのPKを彼が勝手に蹴ったときには、スウェーデン中が大騒ぎになった。後にズラタンは代表を短期間離れた。しかし、フットボールは好きだが、愛されないフットボールしか知らないスウェーデン人は、ズラタンのような選手を求めていた。

「2002年のワールドカップのときにも......」と、ズラタンは言った。「俺はスウェーデンで3回もマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。ほとんど出場してもいないのにさ。みんな俺のことが好きなんだ」
(続く)

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