【フランス】イブラヒモビッチのプレイに大きな影響を与えた、その生い立ち (3ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 とうとうズラタンは、スウェーデンのクラブ、マルメでプロになった。スウェーデンの古いドキュメンタリーフィルムには、やせっぽちの19歳の彼が東ヨーロッパらしいグレーのズボンをはいて、チームバスの横にふてくされた顔で立っているところが映っている。下部組織の試合で相手選手の背中をたたいて、クラブに怒られたのだ。

「ほんの軽くたたいただけだよ」と、ズラタンは言う。チームのキャプテンがカメラに向かって言う。「あいつが文句を言いはじめたら、大変なことになるぞ」。しかしズラタンは、ただ問題児だというだけではなかった。マルメでチームメイトだったニクラス・シンドバルは、僕にこう語った。「あいつはパスのタイミングが悪かったし、シュートのタイミングも悪かった。けれど何でもうまかった」

 19歳で彼はアヤックスに移籍した。だがズラタンはすぐに、まともなフットボール(ストリートでボールを蹴っている移民の子どもたちは軽蔑の意味を込めて「フィールド・フットボール」と呼ぶ)をよく知らないことをさらけ出した。アヤックスのファンは、クラブは別のズラタン・イブラヒモビッチを買ったのではないかと疑った。守備をせず、身長があるのにヘディングもできず、何よりゴールを奪えなかった。

 アヤックスのかつての偉大なストライカーで、当時ユースチームの監督を務めていたマルコ・ファン・バステンは、もっとゴールを決めろとズラタンにアドバイスした。この言葉はズラタンの耳に、天からの啓示のように響いた。それまでズラタンは、フットボールで最も大切なのは技を見せることだと思っていた。

 ゲットーで培われたズラタンの厄介な性格に、アヤックスは手を焼いた。彼をマークしたディフェンダーは、たいてい鼻を折った。チームメイトもけがをした。「あいつは時々、本当に手に負えなくなった」と、アヤックスのスタッフ、ダビド・エンズは言う。ズラタンはスウェーデン人ではなくバルカン人としてみられ、スウェーデンで移民問題が議論されるときには彼のことが取りざたされた。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る