【スペイン】シャビは新しいスペインを象徴するプレイヤーだ (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki
  • 原悦生●写真 photo by Hara Etsuo

 フットボールにもフランコ的なスタイルがあった。「フリア・エスパニョーラ」と呼ばれるもので、スペイン人のたくましさと情熱を表現するとされていた。だがそれは、世界で主流の優れたフットボールを知らず、外国にもほとんど関心のない孤立した国のスタイルだった。「情熱的」なスペイン代表はたいてい負けた。

 フランコはスペインという国の一体感も大きく損ねた。カタルーニャとバスクの分離主義を目のかたきにして、これらの地域を象徴するものは容赦なく弾圧した。フランコの時代には、どちらの言語も公の場で話すことを禁じられた。フランコの死からずいぶんたっても、多くのカタルーニャ人とバスク人はスペイン代表を応援しなかったし、スペインの国旗や、スタジアムでよく聞かれる「イ・ビバ・エスパーニャ」という歌を極右の象徴とみなしていた。

 スペイン代表の試合はずいぶん長い間、テレビ視聴率が振るわなかった。その一方でカタルーニャでは、多くの人々がFCバルセロナを「地域代表」のように思っていた。作家のマヌエル・バスケス・モンタルバンはFCバルセロナを「武器を持たないカタルーニャの軍隊」と呼んだ。同様にバスク人は、地元選手だけでチームをつくるアスレティック・ビルバオを応援した。

 変化が見えはじめたのは2000年代だった。ヨーロッパの「知識のネットワーク」にスペインが参加するようになったのは70年代だったが、そのころバルセロナが輸入したオランダ式パスサッカーがようやく代表チームに取り入れられたのだ。短いパスをつなぐスペインの名高い「ティキタカ」スタイルは、フランコ後のヨーロッパにしか生まれなかったのかもしれない。

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