【スペイン】バルセロナとレアルの選手は代表でひとつになった

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki
  • 原悦生●写真 photo by Hara Etsuo

優勝カップを手にしたカシージャス、シャビ(右)ら優勝カップを手にしたカシージャス、シャビ(右)ら【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】ユーロを連覇したスペイン(後編)

 それでもスペイン代表には、独裁時代とのつながりをさらに断ち切る必要があった。ユーロ2008の前にスペインの当時の監督だったルイス・アラゴネスは、代表チームに「ラ・ロハ(赤)」という新しいニックネームをつけた。アラゴネスは否定しているが、この名前には過去を断ち切り、左派に寄り添おうという意図さえ感じられた。「スペイン内戦時には、『赤』とは反フランコのことだった」と、作家のジミー・バーンズは新著『ラ・ロハ──サッカーはいかにスペインを征服し、スペインサッカーはいかに世界を征服したか』に書いている。

 スペインはユーロ2008を制した。ウィーンで行なわれた決勝の後に、ドイツのMFバスティアン・シュバインシュタイガーがインタビューに答えていたとき、その後ろではスペインの選手たちが列を組んで練り歩きながら、調子はずれの「イ・ビバ・エスパーニャ」をがなり立てていた。翌日、シャビはマドリードの群衆の前に現れ、「ビバ・エスパーニャ!」と叫んだ。スペイン内戦が本当の意味で終わったことを示す光景にも見えた。

 2010年のワールドカップでスペインが優勝したときは、バルセロナやビルバオでも多くのファンが祝った。彼らはカタルーニャやバスクといった地域的なアイデンティティーを捨てようとしていたわけではない。むしろ「カタルーニャ人でありスペイン人」「バスク人でありスペイン人」と感じていた。ここでも手本を示したのはシャビだった。ワールドカップ決勝の後、彼はカタルーニャの旗を振りながらピッチを走り回った。今までになかった形のナショナリズムであり、フランコには理解できなかっただろう。

 2011~12シーズンに世界で最も激しいライバル関係を見せたのは、バルセロナとレアル・マドリードだった。あるときシャビは、マイクが入っていることに気づかず、レアルの選手たちを「うるさい犬ども」と呼んだ。ユーロ2012に向けて、バルセロナとレアルの選手が代表でひとつになれるのかと多くの人が心配した。

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