2012.05.29

【EURO】88年、優勝国オランダよりすごい試合をしたチームがあった

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Getty Images

準決勝でイタリア守備陣を切り裂くソ連のアレイニコフ。後にガンバ大阪でもプレイした思い出の名勝負(1)

 欧州選手権に「EURO」の略称が用いられるようになったのは、96年のイングランド大会から。それ以前と以後の関係は、チャンピオンズカップとチャンピオンズリーグの関係に似ている。欧州選手権時代の話は、少なくとも日本人のファンの間では「知る人ぞ知る」レベルにある。情報はけっして多くない。

 しかし、そうはいっても88年西ドイツ大会決勝で、マルコ・ファン・バステンが決めたボレーシュートを映像として記憶している人は多いはずだ。対ソ連戦。アーノルド・ミューレンが左サイドから上げたハイクロスを、角度のないところからボレーで打ち抜いたスーパーゴールである。

 優勝したオランダにはファン・バステンの他にフリット、ライカールト、クーマンなど、スター選手がひしめいていた。監督は後に「20世紀の最優秀監督」として国際サッカー連盟から表彰されることになったリナス・ミホルス(故人)。88年西ドイツ大会といえば、オランダサッカーの魅力が全開になった大会と結論づけることができる。サッカー検定の初級編ならこれを覚えておけば十分という話になるが、この88年大会は実は見どころ満載で、他にも語るべきことが数多くある。

  オランダとソ連。決勝戦を争った両チームは、グループリーグの初戦でも対戦していた。結果はソ連の1-0。オランダが当初から大会の主役だったわけではない。決勝戦前の下馬評もイーブンだった。ソ連が敗れた理由は準決勝からの試合間隔にあった。オランダが中3日だったのに対し、ソ連は中2日。この1日の差によって明暗は分かれた。少なくとも僕はそう見ている。