ジョージ・ウェア、エリック・カントナ...プレイは政治の票に結びつかない (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki
  • photo by Getty Images

 しかし、パキスタンのイムラン・カーンは特別だ。政界でも成功できるスポーツ選手をつくれといわれたら、それはクリケットのキャプテンだろう。戦術的な頭脳と運動能力の両方が必要とされるポジションである。それに加えてハンサムで、物腰が洗練されていて、肩を負傷しながら母国にワールドカップをもたらした経歴があれば、これはもう申し分ない。「パキスタンを救うのは誰だ? イムラン・カーンだ!」。彼の政治集会ではそんなチャントが聞こえる。クリケットの試合のときのように。

 イムランは首相になれるかもしれないが、なったとしたら後悔するかもしれない。人々は何十年もかけて高い評判を築いても、政界に入ると数カ月でその評価を失ってしまう。

 そう考えると、ベルルスコーニのとった戦略の逆をやろうという世代が現われたのも納得がいく。政治をスポーツ界に飛び込むための「トランポリン」にするのだ。

 バーティ・アハーンはアイルランドの首相を11年間つとめた後、英大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドのスポーツコラムニストになった(同紙が盗聴取材スキャンダルで廃刊になるまでだが)。イギリスの外相だったデイビッド・ミリバンドは、フットボールクラブのサンダーランドの理事になった。アメリカの国務長官だったコンドリーザ・ライスはNFLのコミッショナーになるのが夢だと語ったことがあるが、彼女が世界に対してやったことを見て、NFL側がライスを敬遠するようになった。

 ミット・ロムニーも大統領になったら肝に銘じたほうがいい。政治で失敗したら、スポーツの仕事は二度とできないかもしれない。
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