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川勝良一が語る、木村和司の本質と指導者としての才覚「戦術論が常に先行してる感じだけど、結局は技術的な部分が大事」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 だけど、和司はそういう技術的な部分とか、そこに至るメンタルとか、駆け引きとか、感情みたいなところに訴えるときは訴える。(木村の口癖でもあった)『ちゃぶれ!』っていうのも、要は余裕がないヤツは遊べないんで。ということは、余裕イコール技術的に相当レベルが高いとか、周りをよく見てるとかっていうこと。たぶんそれを言いたかったと思う」

 広島弁で「相手をもてあそぶ」というような意味を持つ「ちゃぶる」は、横浜FMの監督時代、木村の代名詞ともなった。

 だが、「ちゃぶる」という表現は、当時の日本でのボールポゼッション重視の志向と相まって、チームとしてボールを保持し続けて相手を圧倒する。そんなイメージを抱かせた。

 つまりは、木村が求めているのは、技術的なものというより、戦術的なものであるかのような印象が、強く表に出てしまったのである。その結果、うまくいかないと、「メディア的には、『監督として(戦術的な部分が)足りない』とかってことになってしまった」と川勝は言う。

「でも、和司は経験値もあるから、アイツをちゃんとサポートできる人が周りにいたら、もっといろんなことができたと思う」

 そこでは、元スター選手という重い看板も、マイナスに働いたのかもしれない。

「選手としては絶賛されてきた木村和司が、監督で1、2回負けると、もうボロカスに言われるでしょ。オレなんかも、(監督時代の)ヴェルディや神戸でそんなのしょっちゅうだったけど(苦笑)。そんなギャップもデカすぎたのか、和司は意外と繊細でもあるし、ちょっと悩んだんじゃないかなっていうのも感じるし......」

 川勝は、木村の選手としての才能はもちろん、指導者としての才覚も同じグラウンドで間近に見てきた。だからこそ、それがわずかな時間しか発揮されず、生かしきれなかったことを、もったいなく感じてしまうのである。

「サッカー界にああいうキャラを......、もっと違う評価っていうか、違う見方をしてあげたほうが本当はいいんだと思うんですよね。せっかく(監督に)なれたんで、やっぱりマリノスも、なんかね......、もうちょっと長くやってくれてりゃあ、もっと盛り上がったかもしれないのにね」

(文中敬称略/つづく)

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(北海道コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。

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