関東大学リーグ2部の明治大に所属していた木村和司 それでも「同世代では中心」 全日本学生選抜でも「一番偉そうだった」 (2ページ目)
「だから、(関東大学リーグ)2部だけども、コイツは1部でも全然できるっていう、個人的にうまいヤツというのは、他の2部の大学にも何人もいた。
(1部と2部で)多少注目度は違っても、和司はユース代表にもずっと常連でいたし、その後も順調にステップアップしていったから、舞台は違っても、もう個人的には認められているというか、同年代では中心みたいな存在だったよね。2部はテレビ中継なんてなかったけど、それでもやっぱり木村和司っていう名前は、もう当然、みんな知ってたと思う」
実際、カテゴリーの違いもあって、川勝と木村が大学で対戦したことは、「たぶんない」。だが、同年代の中心にいたふたりは、ユース代表や全日本学生選抜のチームメイトとして、親交を深めていった。
「大学2年の終わりか、3年ぐらいかな、その頃にユニバーシアードがあったんで、(全日本学生選抜を)ものすごく強化してたんです。岡田(武史)さんがキャプテンで、田嶋(幸三)さんとかもいて、周りは年上が多いんだけど、それでも和司がやっぱり一番偉そうにしてて。一応、先輩には"さんづけ"するときもあったけど、時々『幸三!』とかって呼び捨てでね(笑)。でも、みんなからは人気でした」
仲のいいふたりは、同い年ということもあってか、部屋割りで同部屋になることも多かった。
川勝は、「あれは、ユース代表のときだったかな」と記憶を紐解き、懐かしい思い出を語る。
「当時は早朝、午前、午後、ひどいときには夜も練習があって、いつも筋肉痛でした。でも、今みたいにトレーナーが常に帯同するわけじゃないんで、和司は練習に行く直前になると、いつも部屋のなかでエアーサロンパス(鎮痛消炎スプレー)を足に吹きかけるんですよ。だから、部屋で一緒にいるときは、エアーサロンパスの匂いしかしない(苦笑)。
それに和司は歌が好きなんで、ベッドでいつも細川たかしとかの演歌を歌ってましたね。金田(喜稔)さんと和司は演歌が好きで、歌はうまかったですよ」
若かりし日の記憶とともによみがえるのは、独特のメントールの匂いとこぶしの利いた歌声である。
(文中敬称略/つづく)◆川勝良一が振り返る大学時代の木村和司>>
木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。
川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。
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