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「ミスターマリノス」との邂逅 ギリギリ間に合ったJリーグ開幕、現役「最後の食事」も立ち会った (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 プロリーグ誕生に間に合ってよかった――。それが水沼の率直な気持ちだった。

 しかしながら、木村は水沼の2歳上。同じ「間に合った」でも、その重みはおそらく異なっていただろう。

「僕ももう33歳だったけど、和司さんは35歳ですからね。使ってくれた清水(秀彦/当時横浜マリノス監督)さんにも感謝しなきゃいけないし、本当にギリギリだったと思います。たぶん、和司さんが現役のなかで一番スライディングしているのが、あの試合。よくやったと思います」

 水沼の「本当にギリギリだった」という言葉を裏づけるように、木村は翌1994年のシーズンを最後に、現役引退を決めている。

 1993年には21を数えたJリーグ出場試合数も、1994年には10まで減っていた。

「今と違って、当時はケガをしてもしっかり検査を受けていたわけじゃない。僕は結構肉離れが多かったけど、自分の感覚だけで、できる、できないを判断していた。だから、(現役の)最後のほうは常にテープを巻いているか、サポーターをしているか。いい状態でやったことがなかった。和司さんも最後、手術はしなかったけど、大きなケガをしているんですよね。その頃くらいから、たぶんつらかったんでしょうね、きっと」

 結果的に木村の現役最後の試合となったのは、天皇杯準決勝のセレッソ大阪戦。神戸ユニバー記念競技場での試合に敗れたあと、水沼は新幹線で新横浜まで帰ってきたその足で、木村、そしてゼネラルマネージャーの森孝慈とともに横浜・関内で食事をしている。

「なんで行くんだろう?」

 不思議に思いつつ、ふたりについていった水沼は、「普通に飲みに行くのとはちょっと違う雰囲気があった」ことを覚えている。

「おまえ、もうそろそろじゃないか?」

 水沼の記憶によれば、森は食事の席で、木村にそんな言葉をかけたという。

 次の日にクラブハウスで行なわれた、シーズン最後のミーティング。「ワシ、やめるわ」。木村は自ら、チーム全員の前でそう告げるのである。

「森さんに引導を渡されて、あとは自分で決めろ、みたいな感じだったんで、最後は自分で決意したんだと思いますけど、その場にいられたことが、よかったのか、悪かったのか......。まあでも、最後まで和司さんとの縁があったんだって、ちょっと思いましたね」

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