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JSLで日産の黄金期を築いた名コンビはあうんの呼吸もアイコンタクトも「超えていた」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 ウイングから攻撃的MFへと転向したばかりの木村にとっても、優れたウイングの存在は頼もしかったに違いない。

「(木村の他に)マリーニョもいたから、日産には(パスの)出し手が結構いたんですよ。でも、出し手って、受け手がいなかったら何の意味もない。いくらスルーパスがうまい人だって、うまく受けるヤツがいなかったら、出しようもないし。

 和司さんは、ゲームを作る頭があるし、キックの種類も多いから、ウイングは左に金田さんがいて、右に僕がいて、そこに出すのは、たぶん楽しかったんじゃないですかね。右サイド(からの攻撃)は、代表でも結構ストロングになっていたし、日産でもいい形が作れていたと思います」

 なかでも水沼が、木村から最高のパスをもらった試合として記憶しているのは、1985年8月11日に神戸ユニバー記念競技場で行なわれたワールドカップのアジア2次予選、香港戦だ。

「僕は一瞬後ろを見てスタートを切ってるだけなのに、和司さんから(前方に走り込んだ自分の)足元にピタッとスルーパスが出てきた。そのパスが一番ですね」

 3-0で勝利したその試合、水沼は木村からのパスでDFラインの背後へ抜け出すと、ダメ押しとなる3点目を決めている。

 水沼によれば、「足元で受けるか、相手の裏で受けるかっていうとき、僕は足元よりも、まず裏で受けようとするんです、絶対に」。

 そんなとき、よく使われていたのが、いわゆるチェックの動き。自分が一度下がる動きを見せて、相手をおびき出した瞬間にその逆をとり、相手の裏に走り込むというフェイントだ。

「自分がここで受けたいときに、逆に動いて戻るみたいな、ちょっとしたことですけど、そういうことを常にふたりでしゃべってたので、僕がちょっとモーションをかけると、和司さんは『あ、貴史は後ろ狙ってるな』ってわかるんです」

 その一方で、水沼もまた「和司さんがちょっと右にボールを出したときっていうのは、背後(を狙っているとき)なんです」と、木村の意図やクセを熟知していた。

「そうやって『このタイミング!』っていうのをふたりですごくしゃべって、練習のなかで繰り返していくと、あとはただ『貴史!』って言っただけで、裏だってのがわかるし、僕が『和司!』って言っただけでも、裏だっていうのがわかる。そういう関係性になっていったんですよね」

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