Jリーグ最年少出場記録を打ち立てた早熟の天才の第二の人生 国家資格に食らいつき鍼灸整骨院を開業 (2ページ目)
【サッカー関係者との連絡を絶った】
2006年に前橋東洋医学専門学校(現中央スポーツ医療専門学校)に入学。卒業後は鍼灸・あん摩・マッサージに定評のある花田学園(本科)にも通った。手技施術には自信があったが、座学は苦手。それでも国家資格取得のために必死で食らいついた。
「花田学園は渋谷でしたが、群馬県邑楽からの通いでした。昼間は学校で、学費も稼がないといけないので深夜まで接骨院や温泉街のマッサージ屋などでバイトをかけ持ち。最初の3年で柔道整復師の資格だけ取って開業することも考えましたが、長い目でみたら鍼灸やあん摩の勉強もしたほうがいいかなって。渋谷まで通っていたときは毎朝5時半起きで、移動の車のなかで解剖学や生理学などの授業を録音した音声データをずっと聞いていました。当時はサッカー界から離れていましたし、サッカーをやってきた仲間とも一切連絡を絶っていました」
卒業後、すぐに開業にこぎつけたが、貯金もなく、専門学校を卒業したばかりの人間がどうやってお金を工面できたのか。「Pass鍼灸整骨院」には高周波治療器やエコー(超音波観察装置)のほか、トップアスリートが疲労回復やケガの治療促進のために利用する酸素カプセルも設置されているが、たとえばカプセルはひとつ約400万円と決して安くない。開業資金を集めるのも簡単ではなかったはずだ。
「専門学校を出たばかりの人間が銀行や信用金庫に『お金を貸してください』と言っても、最初は門前払いです(笑)。ただ、平塚で選手だった頃から一緒に食事したり、親切にしてくれていた知人が、金融関係の仕事で出世していて、相談したら信用金庫につないでくれました。
専門学校に入学した時もそうでしたが、たぶん『サッカー選手として頑張っていたけど、ケガで挫折した』という背景を含めて、口添えしてくれたんだと思います。その人は年齢的には僕よりだいぶ上ですが、十代の頃から変わらずよくしてくれている。だから僕はまもなく45歳になりますが、いまも平塚に行くと地元に戻ったような感覚で、当時の知り合いのところに顔を出すようにしています。やっぱり人とのつながりや恩は大事ですからね」
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