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【Jリーグ】レオ・シルバはいつでも必要な場所にいた「ブラジル代表で活躍していない僕みたいな選手でも...」 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Kei Totsuka

【愛したオレンジのユニフォーム】

「日本のテンポのなかで、自分のよさを出すためにはどうすればいいのかを、必死に考えました。チームメイトのプレーを観察して、チームのやり方を学んでいきました」

 言葉も学んだ。ピッチ上で必要な単語を覚えていった。それによって周りを動かすことができ、日本人選手の意図を理解できるようになった。コンビネーションを深めていくことができた。

 2013年の新潟は、7位でフィニッシュした。ひとケタ順位は3シーズンぶりで、成績アップを促したのは23ゴールを記録した川又堅碁であり、レオ・シルバだった。

 翌2014年もフル稼働する。出場停止の1試合を除く33試合にフルタイム出場した。チームトップの6ゴールを記録し、ベストイレブンに選出された。

 新潟には2016年まで在籍した。オフのたびにJ1の他クラブから獲得のオファーが届きながら、「日本で最初に迎え入れてくれたクラブであり、道を切り開いてくれたクラブだから」との思いを育み、オレンジのユニフォームを愛した。

 シーズンを重ねていくなかで、レオ・シルバはできることを増やしていった印象だ。

 個人的には、前へ出ていくスピードと、自陣へ戻るスピードが変わらないことに感心させられた。ネガティブトランジションと呼ばれる攻撃から守備へ切り替わる刹那で、いち早くスイッチを入れてボールを奪い返しにいく。相手を追いかけながらボールに迫り、ファウルをしないで取り返すのは、彼の優れた長所だった。

 新潟はレオ・シルバとラファエル・シルバ、それに左サイドバックのコルテースがチームを去った2017年に、J2に降格してしまった。クラブにとって厳しい事実は、はからずも彼らの存在の大きさを知らしめることとなった。

 2017年からは鹿島アントラーズの一員となる。柴崎岳が海外移籍へ踏みきった中盤で、小笠原満男や永木亮太とともにゲームコントローラーとなることを期待された。

 27歳で新潟に加入したレオ・シルバは、31歳になっていた。J1リーグで122試合の出場を重ねた彼は、キャリアの円熟期を迎えている。鹿島は前年にリーグ制覇を成し遂げており、獲得可能なすべてのタイトルを狙う大前提に立ちながら、クラブに唯一足りないタイトル──ACLと呼ばれるAFCチャンピオンズリーグを重要なターゲットとした。

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