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【Jリーグ】ジーニョが語った横浜フリューゲルス愛「多くの愛情をもらったから、彼らの悲しみには心が痛む」 (4ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【僕の人生のなかでも特別なもの】

 1999年元日の天皇杯決勝を最後に、フリューゲルスは消滅した。ジーニョは「もちろん、知っているよ」とうなずき、「本当に残念だよ」と両手を大きく広げた。手のひらで悲しみを受け止めているようだった。

「僕がホントにつらいのは......」と、ジーニョは続ける。

「選手やスタッフもそうだけど、サポーターも深い悲しみに包まれたと思う。フリューゲルスのサポーターにはとても、とても、とても多くの愛情をもらったから、彼らの悲しみには心が痛むんだ」

 助っ人としてやってきた外国人選手は、いつか日本を離れる。それでも、母国に帰っても日本への思いを育む選手は多い。

 ジーニョもそのひとりだ。「フリューゲルスで過ごした2年半は、僕の人生のなかでも特別なものだった」と、うれしそうに話した。サッカー選手としてのキャリアではなく「人生」と、ジーニョは語った。日本で過ごした日々は、心の一番奥深いところに刻まれているのだろう。

著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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