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【Jリーグ】ジーニョが語った横浜フリューゲルス愛「多くの愛情をもらったから、彼らの悲しみには心が痛む」 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【ハイライトは鹿島との首位攻防戦】

「監督の木村さんは日本人で、コーチのゲルト・エンゲルスさんはドイツ人、僕らはブラジル人。互いにリスペクトをして、プロフェッショナルな仕事ができていたけれど、なかなかうまくいかなかったね」

 そう語るジーニョは、「それまでブラジル人と仕事をしてきたから、僕自身が違う環境にすぐに適応できなかった、というところもあったかもしれない」と言い添える。チームにはブラジル人コーチのアントニオ・カルロス・ダ・シルバがいて、1995年途中から彼が監督となったものの、チームは浮上できなかった。

 翌1996年は、ブラジル人のオタシリオが監督となる。ブラジル国内で十分な実績を持つ指揮官のもとで、ブラジル人トリオが輝く。ジーニョは3-4-2-1のシステムで前園真聖とともにシャドーのポジションに入り、左ウイングバックの三浦淳宏やセンターフォワードのエバイールとも絡んで破壊力抜群の攻撃を繰り広げた。山口素弘とサンパイオのダブルボランチがいることで、ジーニョらの攻撃力が存分に引き出されたところもあった。

 チームは開幕から8連勝を飾り、首位を快走する。

 ジーニョのハイライトは、5月18日の鹿島アントラーズ戦だ。国立競技場を舞台とした首位攻防戦である。

 試合は53分に動く。鹿島が動かした。レオナルドのパスを受けたジョルジーニョが右サイドからクロスを入れる。ゴール前のマジーニョがヘディングシュートを叩き込んだ。ブラジル人ユニットが、その存在感を見せつけたシーンである。

 ジーニョも黙っていない。74分だった。ペナルティエリア右外で直接FKを得ると、左足を振り抜く。4枚の壁を超えた一撃がゴール右上隅に突き刺さった。

 コースもスピードもパーフェクトだった。どんなGKでも止めることはできなかっただろう。ジーニョ自身も「キャリアのなかでもっとも美しいゴールのひとつ」と振り返る。

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