【Jリーグ】鹿島アントラーズのキム・テヒョンが日本に来て受けた衝撃「イチからサッカーを学ぶ感じでした」 (4ページ目)
【礼儀正しい日本の姿に驚いた】
一方で、多くのコリアンJリーガーたちがぶつかる、「韓国よりもゆるやかな先輩・後輩の関係(つまりは年下の選手が慣れ慣れしくしすぎる)」「時に日本人選手たちの勝負へのこだわりが弱く見えることに対する葛藤」などの文化的な壁はあまり感じなかった。このあたりは、韓国で急激に進む世代間の感覚の変化が表れている。
「上下関係に関しては、僕は年下の選手がフランクに接してきても大丈夫でした。日本では韓国よりも先輩に対して意見を言える雰囲気も心地よいものです。年齢に関係なく、何か不満があれば喧嘩してでも解決していく。そこは韓国と違いました。遠慮なくやる。僕だって年上の選手に考えを言える。この点は楽だと思います」
仙台時代、チームメイトから「テテ」というあだ名をつけられた。最初は「なんのことだろう」と思っていたが、本名が「キム・テヒョン」であるBTSのメンバー「V」のあだ名から来ているのだった。
「話を聞いて、悪い気はしなかったです。いいじゃないですか。ただ本名を正確に韓国語で言うと、最後の『ン』の発音が日本語とはちょっと違うのですが」
いっぽう、ピッチ内外では「すごく礼儀正しい日本の姿に驚いた」。コンビニのスタッフが毎回、しっかりと挨拶してくれるのは韓国と違う点だった。「礼儀正しくされるからこちらも礼儀正しくしよう」と考えるようになった。
日本語の勉強は、2年目の2023年シーズンから本格的に始めた。ピッチで最初に自分自身が使った単語は「アゲロ(守備ラインを上げろ)」だったと記憶している。ただひとつ、難しかったのは英語など外来語が基になるサッカー用語だった。例えば「バックパス」を強いて韓国語でカタカナ表記すると「ベッペス」となる。これを理解するのがちょっとだけ大変だった。
2023年のシーズンを終え、いったんレンタル移籍期間が終了した。2024年からは、J1サガン鳥栖に完全移籍。環境の変化に苦しみながらも26試合に出場を果たした。一方でクラブはJ2に降格。自身は最後の4節で出場機会を失う憂き目に遭った。
進む道を悩んだ。鳥栖に残れば来季はJ2だ。自身はすでにKリーグ時代に2部での修業は積んでおり、葛藤があった。何より、目標としているA代表入りは遠のく。
あれこれと考えを巡らせていた12月の折、部屋で横になっていると電話が鳴った。
鹿島アントラーズからのオファーだった。
>>後編「キム・テヒョンが感じている鹿島アントラーズの伝統の力」につづく
キム・テヒョン
金太鉉/2000年9月17日生まれ。韓国・ 京畿道金浦市出身。レフティのセンターバック。2019年にKリーグ1部の蔚山現代(現蔚山HD)に入団。7月から2部の大田ハナシチズン、翌2020年は同じく2部のソウルイーランドFCに期限付き移籍。2021年は蔚山現代に戻り、2022年にベガルタ仙台へ期限付き移籍し2シーズンプレー。2024年にサガン鳥栖に完全移籍。2025年からは鹿島アントラーズでプレーしている。高校時代から世代別の韓国代表に選ばれ、今年7月にA代表デビューを果たした。
著者プロフィール
吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)
ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。
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