【Jリーグ】鹿島アントラーズのキム・テヒョンが日本に来て受けた衝撃「イチからサッカーを学ぶ感じでした」 (2ページ目)
【韓国の「部活育ち」】
実のところ、少年時代に日本についてのイメージはあまりなかった。
「日本と言えば......一度、遠征に行って試合をしたという程度の印象でしたね。あとはアニメ映画の『ハウルの動く城』を観たというくらいで」
ソウル近郊の金浦市育ち。小学校低学年時にサッカーを始めたきっかけは「周りの友だちもみんなやっていたから」。特別な決心はなく、小学校のグラウンドで子ども同士でわいわいとやるだけだった。
ある時、試合前日に見知らぬおじさんから「ちょっとシュートを打ってみて」と声をかけられた。左足で蹴ると、ボールは強くゴールポストに当たって、外に出た。
その人から連絡先を聞かれた。しかし、知らない人に心を許すなという親の教えを守り「嫌だ」と断った。のちにその人が地元・金浦市のサッカー名門校の監督だったことを知る。
「結局、中高では地元では有名な通津(トンジン)という中高一貫の学校でプレーしました。高校に上がる時、Kリーグの水原三星の下部組織を兼ねる学校から誘われたりもしたんですが、家から通えるところでやりたいと思ったんです」
だから「いつの日か海外でプレーする」といった夢を描いたこともあまりなかった。むしろそのきっかけを掴める「代表チームが嫌だった」という。
「U-16からずっと選んでいただいていたのですが......あんまり楽しい思い出ではなかったんです。招集された選手たちはほとんどプロのユースチームでプレーしていて、僕は普通の高校から。知らない選手も多くて......」
Kリーグでは2008年から各クラブにアカデミーの設置が義務付けられた。現在でも名門校にプロの指導者を派遣したり、独自に高校サッカー部を設置するなどの形式でユースチームが運営されている。参考までに直近の2025年10月上旬に招集されたU-17代表の合宿メンバー26人のうち、高校所属選手は3人のみだった。
当時も少数派だった「部活育ち」のキム・テヒョン。高校時代までは「センターバックからドリブルしても突破できた」と言うほど思いどおりにプレーしていたのだった。
そんな環境は、のちのKリーグ時代に苦境を招くものにもなった。
「2部へのレンタル移籍の時代はよかったのですが、2019年、2021年に所属したKリーグ1の蔚山の時代は全くだめでした。ゲーム体力というものを理解できていなかったんです。レギュラー陣と同じように練習して、試合に出ればいいんでしょ? と思っていました。実際に急に試合に出ると、脚の筋肉が固くなってしまう。経験がなかった、ということですね」
言い換えるなら、10代の頃にはほとんどサブの経験がなかった、ということだろうか。
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