乾貴士の野洲高校サッカー部時代の噂は本当だった「1日7時間練習してました」
学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く――。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】乾貴士インタビュー 中編(全3回)
乾貴士が高校時代の自主練について話した photo by Kishiku Toraoこの記事に関連する写真を見る
【困難に直面した全国優勝後】
2005年度(第84回大会)全国高校サッカー選手権大会で優勝を果たした、滋賀県立野洲高校。中心選手だった乾貴士(現・清水エスパルス)は翌年、3年生として迎えたシーズンで、予想もしなかった困難に直面することになる。
「常に誰かが見てるじゃないですか。練習会場、試合会場って。それがめっちゃ嫌でしたね」
前年度の大会でセンセーショナルな攻撃サッカーを披露し日本一になったことで、野洲の名前は全国区になった。練習には取材陣が訪れ、試合会場には多くの観客が詰めかけた。そのすべてが、当時17歳の乾にとって重圧だった。
「だから俺は『1個上の人らと同じタイミングで卒業したかった』って、ずっと言ってるんです(笑)。自分以外にもうひとり、ふたりプロ入りが決まっていたら、注目も分散されていたと思うんですけど、そういうのがなかったんで」
乾と同じ学年からはのちに4名がプロになるが、いずれも大学卒業後。高卒からのプロ入りは乾ただひとりだった。
日に日に高まる周囲からのプレッシャーに、感情がささくれだっていく。ある日、信頼していた岩谷篤人コーチともめごとを起こしてしまう。
「ほんまにしょうもないことなんですけどね。俺がガキんちょだったけで」
きっかけは些細なことだった。
「俺は岩谷さんに見てもらうために野洲高に来てるのに、練習中にこっちを見ずにマネージャーと喋ったりしてて。今となれば、なんでそんなんで怒ったんやろうって思うんですけど」
中学時代の恩師・岩谷コーチを慕って野洲に来た。しかし当のコーチが練習中、他の人と話している――。それだけのことで、乾は激しく反発した。
「子どもが拗ねてるみたいな。『なんなん?』みたいになって、キレたらキレ返されたんで。もうええわ!って」
追い打ちをかけるように、11月には飛び級でU-21日本代表に選出された。高校3年生でオリンピックを目指すチームの代表入り。それは栄誉であると同時に、さらなる重圧を意味していた。
加えて「野洲」というブランドが独り歩きし、周囲はいやが上にも前年見せた、テクニカルな攻撃サッカーを期待する。中心選手の多くが卒業したのに、である。
「最悪、俺だけでも違うプレーを見せなきゃみたいに思いながらやってました。そんなんでうまくいくわけないですよね。サッカーって、ひとりじゃできないから」
1 / 3