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乾貴士「あれは一生忘れないでしょうね」野洲高優勝時の伝説のゴールを語る (3ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki

【高校サッカー史上、もっとも美しいゴール】

 チームメイトとは、小中時代からボールを介してコミュニケーションを取り続けてきた。岩谷コーチが常に言っていた「みんなで同じイメージを描く」こと。それが野洲スタイルの根幹だった。

「それは小さい頃からずーっと言われてましたね。本当に大事なことだと思います」

野洲高校2年時に全国高校サッカー選手権大会優勝を経験した乾貴士 photo by Takahashi Manabu野洲高校2年時に全国高校サッカー選手権大会優勝を経験した乾貴士 photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る そして迎えた高校2年の冬。2005年度、第84回全国高校サッカー選手権大会決勝。鹿児島実業との試合は延長戦に突入した。延長後半8分、右サイドでボールを受けた乾は中央へドリブルで切れ込んだ。相手ディフェンスが寄せてくる。その瞬間――。

「あそこまで行ったら、大体いつもヒールしてるんで」

 ヒールパス。乾の得意技だった。仲間たちは阿吽の呼吸で動き出していた。

「わかってるやろなと思ってましたよ。ケンもいてくれてるやろなって感じでした」

 乾がヒールでボールを落とす。平原がそれを受け取り、右サイドの中川真吾へパス。中川のクロスに、瀧川陽が飛び込んでゴール。全員でピッチというキャンバスに同じ絵を描いた。「高校サッカー史上、もっとも美しいゴール」と語り継がれることになる得点が生まれた。

「なかなかね、あんなんが決勝で、延長で。そういうのもよかったですよね。最後の最後にあのゴールを決めて、優勝してっていうのは」

 心なしか、乾の口調が熱を帯びる。

「あのゴールが1回戦やったら、こんなに騒がれてはなかったと思うんですよ。決勝であのゴールを決めて優勝までしてっていうので、ここまでみんなの記憶に残ってるのかなって」

 しかし不思議なことに、当時の仲間たちと集まっても、あのゴールの話はほとんど出ないという。

 乾は「あのゴールの話は出ないっすね」と、さらりと言う。では、何の話をするのか。

「いやほんと、しょうもない話しかしないっすよ。ほんまにふざけた話ばっかり。ボケたりいじったりツッコんだり。そんなんばっかなんで」

 関西人特有のノリ。冗談を言い合い、ツッコミを入れ合う。

「みんなで集まると『あの時マジでふざけてよな、試合中やのに』みたいなことを、ずっと言い合ってます(笑)」

 輝かしい記憶。それを語り合うのではなく、笑い合う。それが彼らのスタイルだった。少しだけ誇らしそうに、乾は言う。

「いい思い出ですよね。あれは一生忘れないでしょうね」

 もしあの時、野洲以外の高校を選んでいたら――。

 その問いに対する答えは、永遠にわからない。ただ確かなのは、野洲という選択が、乾貴士を乾貴士たらしめたということだ。そして彼がいなければ、あの伝説のゴールも生まれなかっただろう。

>>中編「乾貴士の高校時代の噂は本当だった!」につづく

乾貴士(いぬい・たかし)
1988年6月2日生まれ。滋賀県近江八幡市出身。野洲高校では2年時に全国高校サッカー選手権大会優勝を経験。卒業後、横浜F・マリノスに入団。セレッソ大阪を経て2011年に欧州へ。ボーフム、フランクフルト(以上ドイツ)、エイバル、ベティス、アラベス(以上スペイン)でプレーし、2021年にC大阪へ戻る。2022年からは清水エスパルスでプレーしている。日本代表では2018年ロシアW杯に出場し活躍。

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