ガンバ・倉田秋36歳が現役にこだわるワケ 「暗黒時代の3年間」を脱するために決断したことは? (4ページ目)
「もう、周りの選手がうますぎました。キヨや乾ら、ちょこちょこ動きながら足元でプレーする、自分と似たタイプの選手が多かったことにも助けられ、周りが作り出してくれる流れに乗っかっているだけで、めちゃめちゃ楽しくサッカーができたし、自分がうまくなっていくような感じもした」
また、レヴィー・クルピ監督に繰り返し求められたシュート数にこだわってプレーできたことも、ジェフ時代に備えた機動力を"怖さ"に変えることにつながった。
「クルピ監督には練習後に、必ず『今日はシュートを何本打った?』と聞かれたんです。試合でゴールを決めたとしても、『今日は何本だ?』と。それを言われ続けているうちにふだんの練習からシュートを打つ回数をめちゃめちゃ意識するようになったし、それに伴ってゴール前に入っていく意欲も強くなっていった。ユース時代のように、攻撃で相手を翻弄する楽しさを感じながら、『(シュートを)打つ意識を持つからゴールもついてくる』と確信しました」
その手応えは数字でも示され、この年、倉田はシーズンを通して稼働しキャリア初のふた桁ゴール(10得点)を叩き出す。
ただし、だ。彼の言葉を聞きながら、ひとつの疑問が浮かぶ。先にも記したとおり、倉田が在籍していた2007年~2009年のガンバもまた"攻撃サッカー"を代名詞に、J屈指の攻撃力を誇っていたはずだ。そこで見出せなかった"攻める楽しさ"を、セレッソではなぜ見出せたのか。預かるポジションがよりゴールに近づいたこと以外に、何か理由はあるのか。
「確かに、当時のガンバも攻めまくるチームで、自由も比較的多かったとは思います。ただ、自由といえども、西野朗監督が就任してから絶対的主軸としてプレーしてきたヤットさん、ミョウさん、(山口)智さんらによって、言葉にせずとも定着したスタイルがあったというか。さっきのボランチの話じゃないけど、明確な点の取り方、勝ち方があって、そこに合わせなアカンと思いすぎていたから、窮屈さを感じていたのかも。
これは、自分のプレーに対する自信のなさも大きく影響したと思います。実際、ジェフ、セレッソで自信を積み上げてから戻った2012年のガンバでは、そんな窮屈さはまったく感じなかったから」
事実、3年ぶりに復帰した2012年のガンバにおいて、倉田は以前とは違う存在感を放った。左サイドハーフとして、縦のコンビを組んだ同い歳の左サイドバック・藤春廣輝(現FC琉球)との連携もよく、ボランチの遠藤を含めた左サイドでの作りは繰り返し攻撃を彩り、倉田もJ1リーグで31試合7得点と結果を残した。
「セレッソ時代に対戦したチームのなかで、ガンバが一番強かったんです。ポゼッションのうまさも群を抜いていて、とにかく、回されて、走らされて、ボールを奪える気がしなかった。自分が在籍していた時に感じていた何倍も強くて、嫌なチームでした。
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