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ガンバ・倉田秋36歳が現役にこだわるワケ 「暗黒時代の3年間」を脱するために決断したことは? (5ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 でも、それを体感したから、2012年に戻った時に自分のスタイルで勝負しようと思えたんやと思います。(ポジションを争う)フタさん(二川)やハシさんと同じプレーはできひんし、これだけうまい選手がそろうガンバやからこそ、僕は期限付き移籍の2年間で形になりつつあった自分のスタイルで勝負して、周りに合わせてもらおうと割りきれた。あとは、以前の自分と同じことをしたら、あの時に戻ってしまうという恐怖(笑)。

 実際、そうやってプレーしていたら、ヤットさんや今ちゃん(今野泰幸/現南葛SC)ら周りの選手が合わせまくってくれて、動けばボールが出てきたので、いつも『すげぇ、すげぇ』って思いながらプレーしていました」

 だが一方で、チームは? といえば、相変わらずの攻撃力は示しながらも残留争いに巻き込まれ、最終節のジュビロ磐田戦での敗戦によって、クラブ史上初のJ2降格を突きつけられてしまう。総得点ではリーグ最多の67得点を記録しながらの、前代未聞の降格劇。その最終節で倉田が決めた唯一の得点は、「キャリアで最もうれしくないゴール」として記憶に刻まれている。

「攻撃が爆発して7点、5点と、大量得点で勝つ試合もあった一方で、僅差の試合は最後の最後で勝ちきれない、みたいなことも多くて。ジュビロ戦も勝てば(降格圏を)抜け出せる可能性もあったのに、勝ちきれず、降格になってしまった。

 あの時に感じた絶望感というのかな。自分の力が及ばない情けなさというか......。サッカーをしてきたなかで一番、しんどくて、悲しくて、苦しかった」

(つづく)◆倉田秋を突き動かす原動力とは?>>

倉田秋(くらた・しゅう)
1988年11月26日生まれ。大阪府出身。2007年、ガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。2010年にJ2のジェフユナイテッド千葉に期限付き移籍し、翌年はセレッソ大阪に期限付き移籍。もともと実力の高さには定評があったが、それぞれのクラブで経験を重ねて自信をつける。2012年に古巣のガンバに復帰。以降、ガンバひと筋で、チームの主力として奮闘を重ねている。

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