ガンバ・倉田秋36歳が現役にこだわるワケ 「暗黒時代の3年間」を脱するために決断したことは? (2ページ目)
しかも、その物足りなさは2年をすぎても拭い去ることはできず、"変わっていかない自分"への焦りは日に日に大きくなった。
「別にうまくプレーできなくても、誰に怒られるでもないし、ミスを咎められるわけでもないんですよ。でも、ただただ『ああ、おまえはそれ、できひんねんな』っていう冷たい空気が流れる、みたいな。それにまたプレッシャーを感じて空回るという繰り返し。その自分に、常にフラストレーションを抱えてサッカーをしていました」
当時のガンバは、2005年のJ1リーグ初優勝を機に「常勝軍団」として名乗りを上げ、"タイトル"を重ねていた時代。倉田のプロ1年目にあたる2007年にはナビスコカップ(現ルヴァンカップ)で、2008年にはAFCチャンピオンズリーグと天皇杯で頂点に立っている。先に名前が挙がった遠藤、明神、橋本をはじめ、山口智、二川孝広ら日本を代表するそうそうたる顔ぶれが作り上げる"攻撃サッカー"は、圧倒的な得点力を誇り、Jリーグを、アジアを席巻した。
「少しずつ出場時間は増えてはいたけど、成長している実感を持てなくて。なのに、自分は何かを変えようと行動するわけでもなく、与えられた練習をこなすだけでした。それは、この世界では"腐っている"のと同じというか。この歳になったらわかるけど、監督やコーチに言われたことだけをやっていても、"自分のもの"にはならんと考えても、まったく足りていなかった。
その状況から半ば逃げるように、2年目の終わりにガンバを出ることも考えたけど、クラブから『この環境でも成長は求められるんじゃないか』と言われてすぐに引き下がる、みたいな。結局、そのくらいの覚悟しかなかったんやと思います。そんな自分やから3年目はほぼ試合に出られなくなり......。
その時にホンマに『このままやとサッカー選手でいられなくなる。居心地のいい場所から離れないと成長は望めない』と思い、クラブにもう一度、本気でお願いして期限付き移籍をさせてもらった。今思い返してもほんまに情けない、暗黒時代の3年間でしたけど、『あの時に二度と戻りたくない』って思えたことは、今につながる唯一の収穫でした」
その危機感を胸にガンバを離れ、J2のジェフユナイテッド千葉に期限付き移籍をしたのが2010年だ。昨今は、期限付き移籍から所属元のチームに復帰することは珍しくなくなったが、当時は暗に"期限付き移籍=片道切符"とされていた時代。ガンバに戻れないのも覚悟のうえで、「自分が蒔いた種。サッカー選手で居続けるには、それ以外に方法がない」と腹をくくった。戦うステージが下がることはまったく気にならなかった。
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