ガンバ・倉田秋36歳が現役にこだわるワケ 「暗黒時代の3年間」を脱するために決断したことは? (3ページ目)
「いくつかのJ2クラブから話をいただいたなかでジェフに決めたのは、監督の江尻篤彦さんが直々に話をしてくれて、『ボランチではなく、前目で起用したい』と言ってくれたから。というのも、当時のガンバのボランチには1~2タッチでボールをさばくことを求められていたというか。それによって僕も『プロのボランチはそうじゃないとアカンのかな』って思っていたんです。
でも、ユース時代からドリブラーで、中盤からボールを持って攻め上がるプレーを得意にしていた僕には、どうもそのプレーがフィットしなくて。それもあって、直感的に江尻さんの言う『前目』は自分に合うんじゃないかと思いました」
倉田が初めてのJ2リーグを戦った2010年は、開幕ゴールで幕を開けた。「張りきりすぎて」開幕前にハムストリングに軽度の筋膜炎を患っていたため、途中出場になったが、出場からわずか5分後に初ゴールを叩き込む。その"入り"のよさは自身に拍車をかけ、同年は29試合出場8得点と、初めてシーズンを通して公式戦を戦った。
「ジェフでの一番の収穫は、今につながる"走る力"を備えられたこと。江尻さんから『走れない選手は使わない』と口酸っぱく言われていたなかで、ガンバ時代には考えられないくらいめちゃめちゃ走り込んだし、フィジカルトレーニングや練習も、バッチバチでキツかったけど、それによって走る力を備えながら"点を取る感覚"を思い出せたのはすごく大きかった。
一方、前半戦で『結果を残せる』と思えたことで、後半戦は調子に乗ってしまい、チームとしての戦術の枠を超えて、自分のやりたいプレーをやるようになった自分もいて......。そうなると、先発では使われなくて当然やのに、自分は『なんで、俺を使わんねん』みたいな(苦笑)。ホンマ、若いというか、浅はかというか。その経験を通して、プロの世界は自分がやりたいプレーだけやっていて許されるほど甘くないと痛感させられたのも、のちの自分に通じる学びになった」
そんなジェフでの1シーズンを終えて、セレッソ大阪に期限付き移籍をしたのが2011年だ。ガンバに復帰する話も持ち上がったが、「まだ確固たる自信をつかめていない」と、倉田は再び、新たな環境に身を置く決心をする。
「J1でも通用すると言いきれるほどの自信はついていなかったので、もう1年、どこか(他の)J1チームでやりたいな、と。正直、ガンバ育ちの自分がセレッソのユニフォームを着る未来がくるなんて想像もしていなかったけど、当時のセレッソにはキヨ(清武弘嗣)や乾(貴士)、キム・ボギョンら、近い世代で攻撃的な選手が多かったので。そのなかに入って攻撃をしてみたいという思いが強かった」
実際、前線を構成する選手たちと作り上げる"攻撃"において、倉田は水を得た魚のごとく躍動して見せた。前年度に続き、開幕戦で、しかもガンバ戦でゴールを挙げたことも追い風になったのかもしれない。
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