検索

【Jリーグ連載】東京ヴェルディユースの指揮官、小笠原資暁の突拍子もない経歴 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

――実際に講習を受けてみて、どうでしたか。

小笠原 僕はそれまで、選手としてプロの指導者に教えてもらったことがなかったので、どちらかと言うと、「サッカーなんて選手がやるもので、コーチなんか関係ないでしょ」っていうスタンスでした。ところが当時、木村浩吉さん(※現役時代はJSLの日産自動車でプレー。引退後、横浜マリノスのコーチを務め、育成・普及部門の仕事にも従事。その後、横浜F・マリノスの監督も務めた)がC級のインストラクターをされていて、その指導を見て「あ、すごいな」って、雷に打たれたような感じになって。「これなら指導者で選手が変わるよな」と感じて、「これは面白い。やってみたいな」と思いました。

――木村さんの指導は、どんなところが刺さったのですか。

小笠原 僕ら受講者同士で指導実践をやるんですけど、たまに木村さんがデモンストレーションをやってくれるのを見たら、もう指導が的確で、それをやったらいいんだっていうのが誰でもわかる。これは、すごいなって。

 木村さんの頭のなかでサッカーが整理されていて、伝えていく順番も的確だし、その場で出た現象を正確にジャッジして、「今のはいい」「今のはよくない」と伝えられる。だから、選手は何をすればいいかがわかりやすい。自分で選手役をやっていて、頭のなかがクリアになっていくのがわかりました。

――それがきっかけで指導者になったわけですね。

小笠原 C級の講習会が終わって、最後にインストラクターと話す機会があったときに、木村さんが「おまえ、指導者をやったほうがいいよ」って言ってくれたんです。自分がすごいと思っている人に背中を押してもらって、「やってみよう」と思いました。

 でもその前に、イングランドへ行きました。仕事を始めたら(行くのは)なかなか難しいだろうなと思ったので......。

――今度は突然、イングランドですか。

小笠原 向こうで1年間、セミプロみたいなチームでプレーしながら、FA(イングランドフットボール協会)のインターナショナルコーチングライセンスを取りました。

 その後、日本に帰ってきて、いろんなクラブに履歴書を送ったら、ヴェルディが話を聞いてくれることになって、それで入れてもらったっていうのが経緯です。

――プロ選手になりたかったのに、その夢はすぐにあきらめられたのですか。

小笠原 それは、僕も結構不思議でした。もっと挫折感があるんだろうなと思ったんですけどね。でも、すごく面白そうなものに出会えたので、スッと移行できた感じはします。

 それに、プロ選手になるのは難しいだろうなって、やはりどこかで常々感じてはいたので、逆にやりたいことが見つかったことのほうが大きかった気がします。

(つづく)

フォトギャラリーを見る

2 / 2

キーワード

このページのトップに戻る