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浦和レッズの草創期を支えた「寡黙なレフティ」ウーベ・バイン 福田正博の信頼は絶大 (4ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【浦和の応援はすばらしかった】

 彼自身も数字を残している。38試合に出場して18ゴールをマークした。福田の得点を多く生み出したが、背番号9のアシストから決めた得点もある。一方的なホットラインではなかったのだ。

 1996年は20試合5得点に終わった。福田はシーズンを通してケガに悩まされ、わずか4試合の出場に終わっている。バインはオジェック監督らとともに、天皇杯準決勝で敗退したあとの国立競技場でサポーターに別れを告げた。2年半の冒険が終わった。

 日本で過ごした時間について、のちに彼はこう語っている。

「日本では誰もが、非常に親切で温かみのある対応をしてくれました。とても楽しくて、ドイツに戻るのがつらかった。特にサポーターの応援はすばらしかった。ドイツでもいろいろなチームでやりましたが、比較にならないほどの大きな熱狂でした。

 僕の最後の試合は天皇杯準決勝のヴェルディ川崎戦で、0-3で敗れてしまったんですが、試合終了後1時間以上もサポーターがスタジアムに残ってくれたのは、強く印象に残っています。その試合の写真は自宅に飾ってありますし、2年半の思い出を今でも思い返しますよ」

 バインは福田を信じて、パスを出し続けた。

 福田はバインを信じて、スペースへ走り続けた。

 Jリーグ30数年の歴史でも、とびきりのホットラインである。

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著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

【図】浦和レッズの選手は?「J1前半戦ベストイレブン2025」

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