ジーコ、カズ、ゴンを抜いて...FC町田ゼルビアの中島裕希がJ1最年長得点記録を刻む日は来るか (2ページ目)
それがまさか、10年も続くとは想像もしていなかったそうだが。
「"今"が大事と思って積み重ねてきて、気づいたら10年経っていたという感じで、自分でも驚いています。ただ今になって思うと、町田だから10年続けられたのかな、と。相馬さんのあと、2020年にはポポさん(ランコ・ポポヴィッチ)が監督に就任されましたが、インテンシティの高いサッカーを志向するポポさんのもとで、守備はもちろん、とにかく『前に前にプレーしろ』と求められ、それに応えようとしたから、もともとのフィジカルもさらに磨かれたし、試合にも使ってもらえるようにもなった。
それは、2023年に黒田剛監督が就任されてからも同じで......。ハイプレスで、インテンシティが高く、全員で守って全員で攻撃する、みたいな町田のサッカーが自分に合っていたのかな、と。裏を返せば、仮にもっと技術を求められる監督だったら、自分では物足りなかったかもしれない。そう考えても30代になって町田に来られたことが、今も現役を続けられている理由である気がします」
もちろん、求められることに応えようとするだけではキャリアを続けられないのが、プロの世界だ。本人は数字にはそこまでこだわっていなかったと言いながらも、2016年から始まった町田でのキャリアで、ほとんどの試合にピッチに立って3年連続ふた桁得点を記録したことや、監督から"必要とされる選手"であり続けてきた事実も、そのキャリアを重ねられた理由であるに違いない。
もっと言えば、ただガムシャラに戦っていた20代とは違い、キャリアを重ねるなかで「周りが見えるようになったし、自分自身のこともより理解できるようになった」ことも、チームの"駒"としての彼を際立たせたはずだ。「めちゃくちゃマイペース」と自認する、その性格にも支えられて。
「正直、ベガルタ仙台での最後のほうくらいまでは、試合に出られなかった時に『なんで俺を使わねえんだよ』と不貞腐れていた自分もいました。でもそれって、本当に無意味なんですよね。不貞腐れたところで試合に出られるわけでもないし、むしろチャンスは遠のくだけだし、いい評価につながることもまずない。チームの空気も悪くしちゃいますしね。
それを本当に理解できたのは......やっぱり2011年の東日本大震災の経験が大きかったかな。そんな態度をとって、今日という一日を無駄にするのがもったいないって思うようになったから。
以来、試合に出る、出ないに揺り動かされなくなったというか。もちろん、山あり谷ありで、いいことばっかりではなかったんですよ。J1昇格争いから、一転、J2残留争いに巻き込まれたシーズンもあったし、いつだって試合には出たいと思っていたけど、出られたわけでもない。
でも、今はもうその事実に気持ちが揺れたり、落ち込むことはないです。とにかく毎日手を抜かず、練習を100%でやって、求められることに全力で向き合うだけ。
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