伊東輝悦が50歳まで現役を続けられた理由「若いころのイメージを追いかけたりはしなかった」 (3ページ目)
【カテゴリーを下げる抵抗は全然なかった】
8月31日に誕生日を迎え、目指していた区切りに到達した。
「そこでひとつ、やりきった感はちょっとあったかな。身体もしんどくなってきたし。今年の夏はホントに地獄みたいな暑さだったでしょ。そのなかでプレーするのは、ちょっとね」
今シーズンの最終節で後半終了間際にピッチに立ち、J3リーグの最年長出場記録を更新した。50歳2カ月24日での出場は、40歳をすぎてもプレーした中山雅史、川口能活、小野伸二、中村俊輔、遠藤保仁らをはるかに上回る。50代でJリーグのピッチに立ったのは、カズこと三浦知良と伊東だけなのだ。
「単純にプレーすることが好きだし、サッカーが面白いから。もうそれだけ。20代も、30代も、40代も、気持ちはまったく変わらなかった」
変わったものも、ある。かくも長く現役を続けられた裏づけが、たしかにある。
「変わることがそんなに嫌じゃない。年齢を重ねることで、それまでできたことができないということが当然出てくるけど、それに対してすごくストレスを感じることはなかった」
引退を決断する選手の理由で、「イメージどおりにプレーできなくなった」というのは間違いなく上位に食い込んでくる。伊東もまた、イメージを具現化することで対戦相手を翻弄し、スタジアムを沸かせてきた選手だが、「若いころのイメージを追いかけたりはしなかった」と言う。
2010年に清水から契約の非更新を告げられると、2011年にJ1へ昇格したばかりの甲府へ移籍した。甲府には3シーズン在籍し、2014年からはJ3の長野パルセイロの一員となった。2017年から8シーズン在籍した沼津も、J3を構成するクラブである。
「カテゴリーを下げることへの抵抗は全然なかった。長野へ行った時には、自分みたいな選手がJ3のクラブに行って、ちょっとでも盛り上がってくれたらうれしいな、という。それは、秋田へ行った時も同じだった」
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