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名将ミシャは何を残したのか Jクラブを率いて19年 勝ち負けを超えて伝えた「信念」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

「95%は(監督業を)終えるでしょう。5%はまだわかりません。札幌を率いないことだけは確定していますが」

 広島戦後にそう語っていたミシャは、19年近くにわたりJリーグで監督を務めてきたことを振り返った。

「サッカーは面白いものです。2006年に広島に来て、その年にデビューした青山がホーム最後の試合をする巡り合わせで、運命を感じた1日でした。18年半、柏木(陽介)、森脇(良太)、槙野(智章)、(佐藤)寿人、森崎兄弟......。ともに戦った選手たちがすでにキャリアを終えていますが......私は三つのクラブ(広島、浦和レッズ、札幌)で監督の仕事をして、選手を育ててきた自負があります」

 ミシャの恩恵を受けた日本人選手は少なくない。指導者でも、日本代表を率いる森保一監督には大きな影響を与えたはずだ(広島時代は監督とコーチの関係で、森保監督は後任になった)。

「アウェーの地で訪れた時、皆さんが私を温かく迎えてくれるのは大きな喜びで......。自分の仕事があとにどう残ったか、と考えた時に、決して悪くなかった、と思えるのです。一緒に戦ってくれた人が大切で、今も誇りですね。まあ、統計は気にしてきませんでしたが、あと少しだけ、J1、600試合に足りなかったようなんですけど(笑)」

 最後までミシャはユーモアを忘れなかった。ひとつの時代が幕を下ろした。

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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