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名将ミシャは何を残したのか Jクラブを率いて19年 勝ち負けを超えて伝えた「信念」 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【試合に敗れても、饒舌に語った】

 その後も、札幌は局面で柏を凌駕している。相手ボールに各自が戦いを挑み、積極的な守備姿勢が攻撃につながる。単なるマンツーマンではなく、"攻撃し続けるための守り"というのか。マンマーキングはひとつ綻びができたら、失点のリスクを背負うが、その覚悟が選手を鍛えるのだ。

 トレーニングで培ったボールゲームの極意も見事だった。連続したボールの出し入れのなかに筋道が見える。どこに、いつ、どうやってボールを通すのか。人とボールが常に動いていた。サイドチェンジも有効で、左ウィングバックの菅大輝が起点になると、青木亮太や中村桐耶が絡むことで突破口を開いた。引き分け以上で自力での残留が決まる柏に、ほとんどチャンスを作らせなかった。

 攻守の回路を作り上げたこと自体、大きな成功と言える。そのなかで、多くの選手が有力クラブに旅立っていった。彼らはミシャ札幌で鍛えられ、成長することができたのだ。これこそ、ミシャが名将であり、7シーズン目の降格も失敗ではない、と言いきれる理由だ。

「4-1で敗れたあとで、多くを語るべきではありませんが、我々はすばらしいゲームをやってのけました。しっかりと狙いのある攻撃で」

 昨年10月、横浜F・マリノスに大差で敗れた試合後、ミシャは饒舌だった。勝ち負けを越えた、サッカーの信念が伝わってきた。横浜FMのほうが戦力は上だったが、資金力では劣っても、サッカーをすることでサッカーがうまくなる、という戦いを示したのだ。

「今日のような試合を続けることができれば、いつかは幸運にも恵まれるでしょう。楽観的なわけではなく、我々はそうやって戦わないといけないし、戦えるはずです。札幌は25年くらいの歴史のなか、昇格してもすぐに降格し、再び昇格し......ということを繰り返してきました。コンスタントにJ1で戦うこと自体、そもそも簡単ではないのです」

 ミシャ札幌は独自のサッカーをとことん追求し、それに殉じることで、スタイルを作りあげた。その結果、今シーズンは残留を勝ち取ることはできなかった。それは幸運ではなく、不運だったと言えるかもしれない。しかし、硬骨な戦いだった。

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