J1通算300試合以上に出場した名ゴールキーパーは、なぜエスパルスの「広報」という仕事を選んだのか (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【ライセンス試験を受けたが現実は甘くなく...】

── 2022年に引退を決めた理由は、どういったものだったのでしょう?

「2020年にエスパルスを契約満了になった時に引退しようと思っていたんですけど、もともとエスパルスの社長だった左伴繁雄さんが、カターレ富山の社長になるということで電話がかかってきて、『もうちょっとやってみないか』と誘われたんです。その時に『お前が辞めたいタイミングで辞めたらいいよ』と言ってもらえたのも、ありがたかったですね。

 結局、富山では2年プレーして辞めたんですけど、理由としてはふたつあります。ひとつは僕がいることで、若い子たちが伸びない気がしたんです。試合に出る、出ないは別として、結局西部さんが言ってくれるとか、やってくれるみたいな、受け身の空気があったんですよ」

── 自発的な言動がなかったと?

「そうです。それが自分のスタイル的に、ちょっと許せなくて。若い選手たちが自主的に試合に向かっていくような雰囲気を作ってほしかったんですけど、僕がいることで若手が遠慮しているような感覚があったんですよね。それを感じた時に、そろそろ潮時だなと。

 もうひとつは家族の問題です。2年間、単身で富山に行っていたんですが、3人目の子どもが生まれたばかりだったので、そろそろ近いところで妻をサポートしなければいけないなと考えて、引退を決意しました」

── 昨年(2023年)はどのように過ごしていたんでしょうか。

「引退した時にエスパルスからGKコーチのオファーをいただいていたんですが、それと同時に僕の知り合いの方がマネジメント会社を立ち上げるから、一緒にやってみないかと誘われたんです。僕自身、引退するタイミングでこれからは選手のサポートをしたいという気持ちがあったので、GKコーチよりも代理人を目指すほうが自分らしいんじゃないかと思ったんです。

 それで昨年は、代理人になるための勉強をしていたんですが、その年にライセンス制度が始まったんですよ。ライセンスの試験も受けたんですが、現実はそんなに甘くはなくて。それで1年が経って、自分が本当にやりたいことは何だろうかとあらためて考えた時に、やっぱり12年間も在籍させていただいたエスパルスのために働きたいと思ったんです」

(後編につづく)

◆西部洋平・後編>>何も知らずに広報マンの道へ「思っていたより10倍大変」


【profile】
西部洋平(にしべ・ようへい)
1980年12月1日生まれ、兵庫県神戸市出身。1999年に帝京第三高校から浦和レッズに入団。2006年から清水エスパルスでプレーし、その後は湘南ベルマーレや川崎フロンターレに在籍し、2022年にカターレ富山で現役を引退。24年間のプロキャリアに終止符を打ち、2024年より清水の広報スタッフとしてクラブに復帰する。2007年にはアジアカップの予備登録メンバーに選ばれ、J1リーグ通算313試合出場の実績を残す。ポジション=GK。身長187cm。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

【写真】エスパルス内定選手は? 2024高校サッカー注目選手フォトギャラリー

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る