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西大伍は鹿島の8年間で「突き抜けた自信」まで備えた「いかにサッカーを楽しめるか」を追求 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 できることもどんどん増えて、プレーのイメージも次から次へと湧いてくる。試合をしても最初から最後までず~っと楽しくて、終わった瞬間から『ああ、もう終わりなんだ、早く次の試合がこないかな』って思っていました。高円宮杯はその最高潮がきた感じでした」

 だからこそ、札幌でのプロ1年目、2006年は苦しんだ。初めて「人に評価されること」を意識する環境に身を置くなかで、高校時代に感じていたような"サッカーが楽しい"という気持ちも、どんどんプレーがうまくなっていくような感覚も、失われていった。

「プロになった時は、『40歳くらいまでプレーできたらいいな』ってことと、(年俸)1億円もらえる選手になることが目標でした。でも1年目は、1試合も公式戦に絡めなくて。評価されなきゃ試合に出られないんだって意識し始めた途端に、どんどん自分のプレーもできなくなって、サッカーを楽しめなくなった。いや、逆か? サッカーを楽しめなくなったから、自分らしいプレーを出せなくなったのかもしれない」

 転機が訪れたのは、プロ2年目にクラブから持ちかけられたブラジル留学だ。チームメイトの岩沼俊介(SHIBUYA CITY FC)と渡った地球の裏側で、本来の自分を思い出した。

「ブラジルでは、誰も僕のことなんて見ていないですから。好きなようにプレーしても、誰にも怒られない。当時はFWでしたが、ボールが全然僕のところにこないからって、センターサークルらへんに座り込んで抗議したり......。まだ日本人選手が海外で評価されているような時代じゃなかったから、『ジャパ!』って呼ばれて、『ジャパじゃねえ。名前で呼べよ』って食ってかかったり。

 プロ1年目はなんとなく大人しくしていたけど、もともとの僕はそういう性格だったよな、ってことを思い出しながらサッカーを楽しんでいました。そんなふうにのびのびプレーしていたら、高校時代のような『うぁ、サッカーが楽しい!』っていう気持ちが蘇ってきた感覚もありました」

 結果的に、札幌にケガ人が続出した状況を受けてクラブに呼び戻され、ブラジル留学は3週間で幕を閉じたが、帰国後、最初に出場した愛媛FC戦でプロ初ゴールを挙げる。それを機にコンスタントに試合に絡めるようになると、翌年昇格したJ1リーグでも27試合に出場し3得点をマークした。

「たった3週間でプレーが変わるとは思えないからこそ、ブラジルで"サッカーが楽しい"って気持ちを思い出せたことがプラスに働いたんだと思います。あとは、運? クロスボールがそのまま吸い込まれてゴールになったんですけど、そういった偶然によっても自信は持てるものだと考えても、僕にとってはすごく意味のあるゴールでした」

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