西大伍は鹿島の8年間で「突き抜けた自信」まで備えた「いかにサッカーを楽しめるか」を追求 (4ページ目)
「自分のレベルが上がり、チームの核として戦っていることへの自信を持てるようになったからでしょうね。『ミスの責任は俺が引き受けるから』みたいな感覚でプレーするうちに、どんどん面白いプレーができるようになって。練習していても怖いくらい、いろんなプレーが簡単にできるようになった。もしかしたらリラックスしてピッチに立てるようになったことで、もともと持っていた感覚を出せるようになったのかもしれない。
2016年のCWCの決勝でレアルと対戦した時も、レアルの右サイドバック、ダニエル・カルバハルの代わりに『俺が入ってもいけんじゃね?』って思うほど、突き抜けた自信も備えていました。今になって思えば、よくも悪くもすごい自信だったなって思いますけど(笑)」
そんな彼に、少し意地悪な質問をぶつけてみる。当時、それほどの自信を持ち合わせ、存在感を示していながらも、"日本代表"への評価につながらなかったことは、どう考えていたのか。
事実、西はそのキャリアにおいて、2010、2011、2014、2017、2019年に日本代表に選出されているが、鹿島在籍中での代表戦出場は2011年のキリンカップ、ペルー戦の1試合出場のみ。その時も3-4-3の右ウイングバックでスタメン起用されたものの、前半だけの出場で終わっている。ハビエル・アギーレ監督によって選出された2014年は出場できず、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督によってE-1選手権のメンバーに選出された2017年はケガのため、辞退を余儀なくされた。
「チームでもそうですけど、試合に出る、出ないは監督が決めることだから。その頃の自分は『サッカー、わかってないんだろうな』って思って解決していました(笑)。もちろん、自分のプレーが完璧だとは思っていなかったですよ。でも、サッカー感も育ってきて、僕には何ができて、何が強みで、どんなふうにチームに貢献できるのかは自分自身が一番わかっていた、と。
でも、それを必要とされないということは、もうサッカー感の違いとしか言えないというか。だからといって、代表に合わせてプレーしようとも思わなかったし......って時点で選ばれないですよね(笑)。
けど、その頃からかも? 自分の基準でサッカーを楽しむことをより追求するようになったのは。もちろん、これは好き勝手やるという意味ではなくて、その先にはチームの勝利や結果も描いてはいました。鹿島での時間を楽しく感じられていたのも、勝てたから、より高いステージで戦えたからだったと思う。でもそれは、"サッカー"という大きな括りでの楽しみのひとつで、すべてではないと考えるようになりました」
西大伍(にし・だいご)
1987年8月28日生まれ。北海道コンサドーレ札幌のアカデミーで育ち、2006年にトップチームへ昇格。2010年、アルビレックス新潟に期限付き移籍。翌2011年には鹿島アントラーズに完全移籍。「常勝軍団」の一員として、数々のタイトル獲得に貢献した。Jリーグベストイレブンにも2度(2017年、2018年)選ばれた。その後、ヴィッセル神戸、浦和レッズ、札幌を経て、2023年からJ3のいわてグルージャ盛岡でプレーしている。
フォトギャラリーを見る
4 / 4