西大伍は鹿島の8年間で「突き抜けた自信」まで備えた「いかにサッカーを楽しめるか」を追求 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 その後もコンスタントに試合に絡み続けていた西が、右サイドバックでプレーすることが増えたのは、再びJ2に降格した札幌での4年目となる2009年だ。それまではサイドハーフなど、攻撃的なポジションで起用されることが多かったが、石崎信弘監督によって新たなポジションを開拓したことは2010年、J1のアルビレックス新潟への期限付き移籍にもつながった。

「コンスタントにサイドバックでプレーしたのは2010年が初めてでしたけど、正直、サイドバックはやりたくなかったです(笑)。ずっと前目のポジションでプレーしてきたし、自分では真ん中でボールを持てる才能があると思っていたから。

 なので、2011年に移籍した鹿島アントラーズでも、5年目くらいから前目のポジションをさせてほしいって言っていました。でも、無理でした(笑)。新潟も鹿島も、すごくいい選手ばかりでサッカーをするのは楽しかったし、当時は試合に出ることが一番だって思っていたので、それを理由に他のチームに移籍しようとは考えなかったけど」

 2011年から過ごした鹿島での8シーズンは、勝つことに貪欲な"本気"の集団に身を置くなかで、移籍初年度から右サイドバックとしてレギュラーに定着。J1リーグやカップ戦をはじめ、2018年のAFCチャンピオンズリーグ優勝など、主軸として数々のタイトル獲得に貢献して見せる。だが、本当の意味で鹿島の一員として自信を持ってプレーできるようになったのは、4シーズン目以降だという。

「昔からヘラヘラやって楽しいのと、本気で妥協なくやるから楽しいことの違いはわかっていたし、どのクラブにも後者を求めている選手はいました。ただ、鹿島はその度合いも、人数も多かったという意味では、上位にいるのが当たり前だと思える集団でした。そういうクラブの色とそもそもの自分のマインドが合致していたので、気後れすることはなかったです。

 でも、周りのチームメイトや、サポーターを含めた鹿島を取り巻く人たちをはじめ、クラブそのものに認めてもらえたと思えるようになるまでには、少し時間を要しました。僕の肌感では2014年くらいから、徐々にそう思えるようになり、それが自信と完全にマッチしたのは2015年くらい。その頃から、チームとして勝つことは目指しながらも、僕のなかで観にきてくれた人たちを楽しませるためには、とか、試合でどう立ち振る舞うべきかが明確になった気がした」

 その自信はプレーに直結していったのだろう。事実、2015年以降は「自分のプレーするステージがひとつ上がったような感覚もあった」と西。それは、2016年、2018年と2度、FIFAクラブワールドカップ(CWC)で対戦した強豪、レアル・マドリード(スペイン)を前にしても、揺らぐことはなかった。

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