松井大輔がサッカー人生の氷河期から脱出できたキッカケ「またカズさんの影響をモロに受けた」 (3ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【まったく外出ができない...散々な日々でした】

── サイドアタッカーからボランチに代わって、サッカーの考え方も変わったのでは?

「ええ、その頃からサッカーの見方も変わりましたね。それまでは自分のプレーのことだけを考えて、何より感覚を大事にプレーしていましたが、ボランチは人をどのように動かすか、そのために自分は何をすればいいのか、いろいろ考えてプレーしなければいけない。サッカーを理論的にわかっていないとボランチはできないので、それを身につけられたことは、今後の自分の人生を考えても、キャリアのなかでは大事な時期でしたね。

 しかも、俊さん(中村俊輔)も横浜FCに加入してくれたので、俊さんから理詰めのサッカーを教えてもらうこともできた。カズさんに体のことを教えてもらって、サッカーの理論を俊さんに教えてもらえるなんて、キャリアの晩年を迎えたオッサンにとっては最高の環境でしたね。本当にありがたい話です」

── さすがに横浜FCで引退かと思っていたら、次はまさかのベトナムでしたね。

「僕も横浜FCで辞めようと思っていたんです。まあ、ジュビロでもそうでしたけど(笑)。

 ただ、これまで何度も引退するタイミングはあったんですけど、その度に新しいオファーをいただける。で、その時はサイゴンFCからいい話があったので、僕としては『やったー! また海外に行ける!』っていう感じで、迷わず決めましたね。

 ただ、その時はまさかコロナの洗礼を受けることになるとは思ってもみませんでした(笑)。オドラ・オポーレ時代も下痢に悩まされたり、精神的にも病んでしまったり、本当に大変でしたけど、サイゴンではロックダウンを経験しましたからね。まったく外出ができないなか、非常階段を上り下りしたり......本当に散々な日々でした。

 しかも結局、リーグは再開されず、誰にも挨拶もできないままロックダウン下で帰国。いったい、この半年間は何だったんだって(笑)。でも、普通は経験できないことを経験できたので、自分としては話のネタが増えてよかったと思っていますけどね」

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