松井大輔がサッカー人生の氷河期から脱出できたキッカケ「またカズさんの影響をモロに受けた」 (4ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi

【面白いなって思えるサッカー人生だった】

── 普通の選手が経験できないという意味では、Y.S.C.C.横浜でフットサルとサッカーの二刀流も経験しました。2年目はコーチ兼任だったので、三刀流とも言えますが。

「このあたりから引退後を見据えて、いろいろなことをやらせてもらいました。特に最近は、フットサルを経験して本当によかったと思うことが多いんです。人と違う目線で見ることができるようになったし、フットサルの理論や技術をサッカーに生かすとか、人が気づかないことを考えられるようになりました。

 コーチ業にしても、少しでもJ3のコーチを経験させてもらったことで、仕事の流れを知ることもできましたし、学ぶものも多かった。そのすべてが、今後の自分にプラスになっていくんだと思っています」

── もはや引退するにあたって、後悔は微塵もないんじゃないですか?

「まったくないです! 僕としては、本当にやりきった感がありますね。周りから見たら、やりすぎなんじゃないかって言われちゃうくらい、やりきったと思います(笑)。それに、自分ではそんなにいい選手じゃなかったと思っているので、よくここまでやったなって思うところもありますし。

 でも、今になって思うのは、やっぱり自分はいつも人と違う道を歩んできたという感覚があるので、面白いなって思えるサッカー人生だったなって。そう思っています」

   ※   ※   ※   ※   ※

 松井の歩んできたプロキャリアは、サッカー以外にもいろいろな要素がギッシリ詰まった23年間だった。あらためてその歩みを振り返れば、「山あり谷あり」というよりも「谷ときどき山」といったほうが近いのかもしれない。

 しかし、だからこそ数々の谷を経験した者にしか登りきれない険しい山に登った時、松井大輔という選手は見る人を感激させるほどの輝きを放つことができるのだろう。

 果たして、そんな松井が引退後に目指すものは何か──。話は、自身が思い描くセカンドキャリアに移っていった。

(後編につづく)

◆松井大輔・後編>>「ドリブルは理論も合わせて伝えるのが育成世代には大事」


【profile】
松井大輔(まつい・だいすけ)
1981年5月11日生まれ、京都府京都市出身。2000年に鹿児島実業高から京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に加入。その後、ル・マン→サンテティエンヌ→グルノーブル→トム・トムスク→グルノーブル→ディジョン→スラヴィア・ソフィア→レヒア・グダニスク→ジュビロ磐田→オドラ・オポーレ→横浜FC→サイゴンFC→Y.S.C.C.横浜でプレーし、2024年2月に現役引退を発表。日本代表31試合1得点。2004年アテネ五輪、2010年南アフリカW杯出場。ポジション=MF。身長175cm、体重66kg。

プロフィール

  • 中山 淳

    中山 淳 (なかやま・あつし)

    1970年生まれ、山梨県出身。月刊「ワールドサッカーグラフィック」誌編集部勤務、同誌編集長を経て独立。スポーツ関連の出版物やデジタルコンテンツの企画制作を行なうほか、サッカーおよびスポーツメディアに執筆。サッカー中継の解説、サッカー関連番組にも出演する。近著『Jリーグを使ってみませんか? 地域に笑顔を増やす驚きの活動例』(ベースボール・マガジン社)

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