町田ゼルビアのハイタワー オ・セフンの挫折と紆余曲折 U-20W杯準優勝のあとに待っていた苦境 (2ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【U-20W杯で主役のひとりに】

 もともと韓国国内でもその存在は広く知られていた。蔚山現代(現蔚山HD)のユースチームとして活動するヒュンダイ高では、1年次からレギュラーとなり、国内タイトルを総なめ。

 何より輝かしかったのが、年代別代表での実績だった。

 2015年のU-17W杯のギニア戦で1ゴールを記録。その後U-20W杯でもゴールを決めたことで、韓国史上初めて「U-17、U-20のW杯でゴールを決めた選手」となった。

 そういったなか、日本との縁もあった。2019年6月5日、ポーランドで行なわれたU-20W杯の決勝トーナメント1回戦で対戦。

 当時の日本にはこの試合にフル出場した菅原由勢(現AZ)ほか、途中出場した中村敬斗(現スタッド・ランス)、サブに鈴木彩艶(現シント=トロイデン)、伊藤洋輝(現シュツットガルト)らがいた。

 オ・セフンはイ・ガンイン(現パリ・サンジェルマン)と2トップを組んで先発出場。

 0-0で迎えた後半39分に、そのシーンは訪れた。左サイドから上がったクロスに対し、小林友希(現セルティック)に競り勝った。ヘディングで決勝ゴールを決め、チームを勝利に導いた。

 試合後、「よりモチベーションを高く、より準備をして臨んだ試合でした。勝てて本当に嬉しく思っています」と日本への思いを口にした。

 チームはこのあとに決勝戦まで進出。ウクライナに1-3と敗れたものの、世界の舞台で準優勝という結果を残している。

 この大会はノルウェーがグループリーグでホンジュラスを12-0で下し、そのうち9ゴールをアーリング・ハーランド(現マンチェスター・シティ)が決めた大会でもあった。韓国代表での2トップの相棒、イ・ガンインは大会MVPを獲得した。

 そうしたなかで、オ・セフンは間違いなく「主役のひとり」だった。日本戦の決勝ゴールのほか、グループリーグのアルゼンチン戦でも先制点を挙げていて、7試合2ゴールの活躍。大会後、チームは当時の文在寅大統領から晩餐会に招待されるほどの熱狂の中心にいたのだ。

 オ・セフンは大会中のインタビューでこういった自信さえも口にしていた。

「フィジカルは各大陸の選手に通じると感じています」

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