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三笘薫はスタメンを確保した瞬間、欧州へ フェイントのキレは何倍も鋭くなった

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

Jリーグから始まった欧州への道(2)~三笘薫

 三笘薫のJリーグデビューは2020年シーズンの開幕戦、川崎フロンターレ対サガン鳥栖戦(2月22日)だった。後半20分、左ウイングとして先発した長谷川竜也と交代でピッチに立った。ところがご承知のとおり、その直後から世の中はコロナ禍に突入。Jリーグも約5カ月間、中断を余儀なくされた。再開は7月18日。川崎は横浜FCと対戦した。三笘の出場は後半15分からで、開幕戦同様に長谷川と交代で左ウイングに入った。

 三笘は翌2021年6月、ベルギーリーグのユニオン・サンジロワーズに移籍しているので、Jリーグでプレーした期間は丸1年になる。その間、出場試合数は50を数えるが、先発出場はわずか24試合だった。先発と交代出場の関係は、1シーズン目(2020年)が11試合(先発)対19試合(交代出場)で、2シーズン目は13試合(先発)対7試合(交代出場)だった。スタメンをほぼ確かなものにした瞬間、欧州へ旅立ったことになる。

 活躍の密度が濃く、とりわけ際立っていたのが得点力だった。2020年が13ゴール、2021年が7ゴールと、ウインガーにしてはハイスコアを記録している。

川崎フロンターレ時代の三笘薫(ブライトン)photo by Fujita Masato川崎フロンターレ時代の三笘薫(ブライトン)photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る ブライトンでプレーする現在、縦を突こうとする姿勢は旺盛だが、無理にゴールに迫ろうとはしない。強引なプレーに及ぶ頻度はむしろ川崎時代のほうが目立っていた。

 ボールを受ける場所も、欧州でプレーする現在を"大外"とするなら川崎時代は"中外"。ペナルティエリアの左角あたりが多かった。よりゴールに近い位置でプレーしていた分だけ、得点に絡む機会も多かった。ドリブラーであることに当時も今も変わりはないが、本格的なウイング色は、現在のほうが濃い。

 川崎時代には日本代表には招集されなかった。東京五輪を目指したU-23日本代表にも、コンスタントに選ばれていたわけではない。2019年12月。長崎で行なわれたU-22ジャマイカ代表戦が久々の招集だった。川崎に入団する直前の話だが、三笘が出場したのは後半13分からで、ポジションは3-4-2-1の2シャドーだった。ウイングとして出場したわけではない。自慢のドリブルを披露する機会はなかった。直後に行なわれたU―23アジア選手権で招集メンバーから外れたことに特段、驚きはなかった。

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著者プロフィール

  • 杉山茂樹

    杉山茂樹 (すぎやましげき)

    スポーツライター。静岡県出身。得意分野はサッカーでW杯取材は2022年カタール大会で11回連続。五輪も夏冬併せ9度取材。著書に『ドーハ以後』(文藝春秋)、『4-2-3-1』『バルサ対マンU』(光文社)、『3-4-3』(集英社)、『日本サッカー偏差値52』(じっぴコンパクト新書)、『「負け」に向き合う勇気』(星海社新書)、『監督図鑑』(廣済堂出版)、『36.4%のゴールはサイドから生まれる』(実業之日本社)など多数。

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