久保建英がスペインで飛躍できた素養とは? 「久保クンから久保になった」FC東京時代
Jリーグから始まった欧州への道(1)~久保建英
「タケ(久保建英)がスペインに来た時から、ずっと注目してきたよ。当時からラ・リーガで活躍するのに十分な才能は備わっていたが、ラ・レアル(レアル・ソシエダ)に来て以来、持っているものをすべて出しきれるようになった。すごいスピードで成熟しているし、その成長はこれからも続くだろう」
レアル・ソシエダ(以下ラ・レアル)でクラブ史上最多出場歴を誇る伝説的ディフェンダー、アルベルト・ゴリスはそう語っていた。
言い換えれば、久保建英はJリーグにいた時から「世界有数のリーグであるスペインで飛躍を遂げるだけの素養があった」ことになる。その素養とは何か? それを解析することは、久保のあとに続くJリーガーにもヒントになるかもしれない。
2019年5月、味の素スタジアム。FC東京がジュビロ磐田を本拠地に迎えていた。0-0のままじりじりした展開が続いて、終盤、引き分けでもしょうがない、という流れで迎えた84分だった。
FC東京の久保(当時17歳)は、ヒーローになる瞬間を待っていたかのように劇的な決勝点を決めた。
FC東京時代の久保建英(レアル・ソシエダ)photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る CKからのこぼれ球だった。エリア内で待っていた久保は、バウンドに合わせて上体をかぶせ、左足ボレーでインパクトした。ボールを逆サイドのネットへ、鮮やかな軌道で飛ばしている。懸命に守っていた敵を奈落の底に突き落とす一撃だった。
「(得点場面は)あまり覚えていません。まあ、直感で」
試合後の取材エリアで、久保はそう振り返っていた。こともなげな様子だった。17歳のルーキーとしては図太すぎる。事実、ゴール後はゲストで来場していた人気芸人のギャグを披露するだけの余裕があった。無邪気と言うよりは、計り知れない器の大きさだ。
その後、久保は一気に羽ばたき、南米選手権での日本代表に招集され、レアル・マドリードとの契約もつかむわけだが――。
実際のところ、久保がJリーグで活躍したのは半年足らずである。
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プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。