キム・ジンヒョンがセレッソ大阪で「ムチョッコン」に過ごした15年 応援歌への思いを語る (2ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【15年間ずっと変わらない責任】

 今や日本語も上達し、クラブ発信のSNS動画では日本語で周囲と親しく過ごす様子も度々アップされる。

 クラブのレジェンド、香川真司が欧州に旅立ち、また戻ってきてプレーする姿の両方を、ピッチで共に過ごす数少ない存在でもある。「彼と僕とでは歩んできた道が大きく違いますね。いずれにせよ頼りなる選手がいるのは心強いこと」という。

 ただし、自分があくまで外国人選手としてこのクラブに存在するという点は忘れたことがない。

「15年間、ここでプレーしてきました。自分自身が日本に適応しているかどうかは別として、僕は外国人枠の一つを占めています。ほかの選手よりも何か違うものを示さなければなりません。それは15年間ずっと、今も変わりません。それが僕の責任です」

 違うもの、とは何なのか。それはキム・ジンヒョンの場合は「特別」だ。他の外国人選手たちのように欧州や南米で育んだ技量ではない。この地、セレッソ大阪で得たものだ。

「このチームで多くのGKたちと過ごしました。僕は彼らから多くを学んだし、僕が伝えたものもあるでしょう。僕から伝えることがあるとすれば、それを示すのが自分の役割です。

 僕はこのチームでプレーし、若い頃から多くのことを経験し、成長してきました。その成長を若い選手たちに見せるのは僕の責任でしょう。これからも若い時からの経験と成長を、ほかの選手にも示さなければなりません」

 日本語がわからず、GKの位置からパスを出した経験がなかった日々。J2降格の痛みをサポーターに与えたことも、勝利の美酒に酔った日のことも。とにかくキム・ジンヒョンにとって「プロ選手としての日々」のすべてが、セレッソ大阪でのものなのだ。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る