「ヴェルディでは『もう無理だ』と思って逃げました」小林祐希が明かすジュビロへの移籍の真相とチームを変えるということ (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

 同時に、楽しくサッカーができた。自分が望むポジションではなくても、監督から『祐希にはこういうよさがあるから、ここで(それを)発揮してほしい』と言われるので、めちゃくちゃ気持ちよくプレーできるんです。そういう監督との関係であったり、言葉で選手の気持ちを乗せてくれるのはすごく大事だなと思いましたね。

 オランダのあと、ベルギーに行くんですが、いい形でステップアップできていたと思います。ヨーロッパでのプレーは(自分の)成長につながりました。プレー面やコミュニケーション(言語)です」

 オランダでプレーしたあと、2019-2020シーズンにベルギーのベフェレンに移籍。その後、2020-2021シーズンが始まってすぐ、9月にカタールのアル・ホールSCに移籍した。唐突とも言える中東のクラブへの移籍は、どういう理由があったのだろうか。

「スペイン、イングランド、ドイツとかへの移籍が実現できなかったので、あとは欧州の主要国じゃないところで、めちゃくちゃ安い給料で頑張るか、レベルは下がるけど、条件のいいカタールに行くか。その二択、だったんです。

 その時は、"プロ"という基準で考え、自分をより評価してくれるチーム=お金を出してくれるところ、ということでカタールを選びました。そのまま欧州でプレーしていたら、何かが変わったかもしれないですけど、その時は家族があっての選択でもあったので、後悔はしていないです。ただ、カタールで自分がステップアップできたかというと......」

 オールラウンダータイプの小林は、個が強調される欧州のトップリーグではなかなか目に留まりにくかったのかもしれない。主要国からなかなか声がかからない状況に苦しみ、中東に行くのも葛藤があったという。

 とはいえ、個人の高い評価の対価として高額な年俸が保証されたチームに行くことは、プロとしてあるべき姿でもある。実際、南米のトップ選手が中東に行くケースが多いが、オイルマネーがあるクラブが提示する高額年俸は魅力的だ。

 10カ月後の2021年7月、小林は中東から韓国へと戦いの舞台を移した。ソウルイーランド(2部)に移籍を決め、2022年からは江原FC(1部)でプレーした。

「韓国での(個人的な)収穫はあまりなかったですね。収穫があったとすると、理不尽なことも受け入れる気持ちや心構えができるようになったこと。

 自分のプレーがうまくいかないとかではなく、何をしたらいいのかわからない。迷子になっているみたいで、何をしても名前を呼ばれるし、何をしても怒られる。すごく悩みながらプレーしていたので、サッカーがまったく楽しくなかった」

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