中村俊輔は「チェスの名手のよう」。GKブローダーセンが語った思い出「ボールを止めたことよりも、ネットから取り出すことのほうが多かった」
横浜FC スベンド ブローダーセン インタビュー 後編
前編「ブローダーセンが語る、日本の好きなところ、少し残念なところ」>>
中編「ブローダーセンが語る、オリバー・カーンとザンクトパウリ」>>
横浜FCのスベンド ブローダーセンのインタビューの後編は、自身のポジション、GKについて。好プレーの秘訣は、日本の環境でプレースタイルや思考が変わったからだという。
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「リラックスして自分の仕事を全うすることを第一に考えている」という横浜FCのGKブローダーセンこの記事に関連する写真を見る
【バスケットボールやハンドボールも好きだった】
「フットボールを始めた頃は、セントラルMFだった。センターバック、サイドバック、ウイングもやったよ。初めて出た試合では、ウイングで2得点と2アシストを記録したんだ。その時の写真が今も実家の壁に飾られているから、絶対に忘れないよね(笑)」
横浜FCの守護神スベンド ブローダーセンも、多くのプロGKと同じように、最初はフィールドプレーヤーだったという。でもある時、レギュラーGKがケガをし、チームで一番大きかった彼に白羽の矢が立った。促されるままにやってみると、うまくできたし、予想以上に楽しかった。
「僕はバスケットボールやハンドボールも好きだったから、もともと手を使うスポーツに親しんでいた。だからGKも最初から楽しめたんだと思う。本格的にこのポジションに専念したのは、10歳くらいからかな」
少年時代から恵まれていたのは体格だけでなく、スピードや瞬発力といった運動能力にも優れ、なによりエネルギーに溢れていた。そして楽しいと思えるポジションに出会い、ポジティブに取り組んでいくと、17歳の時にザンクトパウリのファーストチームの公式戦でベンチ入り。
20歳の時にはドイツの世代別代表の一員として、韓国で開催されたU-20W杯に出場し、初戦を除く3試合に出場した(ラウンド16でザンビアに敗退)。
その後、24歳で東京五輪もメンバーとして経験し、横浜FCではJリーグ屈指のビッグセーバーと評されるようになった。
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