Jリーグを席巻するサガン鳥栖指揮官は女子サッカーからスタート。「今とまったく変わらなかった」

  • 小宮良之●文 photo by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●撮影 photo by Fujita Masato

川井健太監督(サガン鳥栖)インタビュー(中編)
前編「Jリーグに新風を吹き込んだサガン鳥栖監督に聞く。『残留という言葉は一回も使ってない』」はこちら>>

「『野心を持て』と言われても、そういう(のが必要な)環境に身を置いたことがないんです」

 サガン鳥栖の川井健太監督(41歳)は穏やかに言う。髪型、服装、そして風貌とスタイリッシュで、ガツガツした感じはない。むしろ捉えどころがない涼やかさがあり、スポーツ関係者よりも、役者やミュージシャンに近いものを感じる。言葉を吟味して話し、多弁ではない。それはひとつひとつの言葉を大事にしているからだろう。饒舌になることで、必然的に意味も薄まる。

「練習で、発する言葉がゼロなことも......」

 川井監督は飄々として言う。

 サッカー経歴は、恵まれているとは言えない。プロサッカー選手としてJリーグ出場試合数は2試合で、早めに現役生活に見切りをつけている。その後は愛媛の宇和島で10年以上、女子サッカーを指導し続けてきた。J2の愛媛FC時代にはユース監督からトップを2年率いたが、成績自体は目立たない。昨年は、J2モンテディオ山形のヘッドコーチを務めたが、J1での指導経験はなかった。

 データだけで言えば、無印だったのも無理もない。しかし、伏龍鳳雛だった。新たに強化部に加わったOB小林祐三氏の強い推挙と交渉により、川井・鳥栖が誕生したのだ。

 今シーズンのJ1で旋風を巻き起こす川井監督は、そもそもどんな人物なのか。その肖像に迫った。

上位チームにもひるまず戦ってきたサガン鳥栖の選手たち(写真は川崎フロンターレ戦)上位チームにもひるまず戦ってきたサガン鳥栖の選手たち(写真は川崎フロンターレ戦)この記事に関連する写真を見る――川井監督にとって、指導者としての源泉はどこにあるのでしょう。プロサッカー選手として成功していない反骨のエネルギー、というのは偏見かもしれませんが。

「よく聞かれるんですけど、選手として終わって、"この悔しさを監督で晴らそう"と思ったことはまったくないです。ひとつだけ、源流になっていることがあるとするなら、中学時代ですかね。部活でサッカーをやっていたんですけど、その当時の監督がラグビーしかやったことのない人で、本当に漫画みたいに、メガホンを持ってくるんですよ(笑)。その時、練習メニューとかは自分で考えていたんです。それが面白くて」

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る